いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

太い道路を大きな音を立ててぬめって疾走していく

大きな道路をヌメッとした速さで疾走していくうるさいバイクのことだが、あれを聞くと父方の祖父母の家を思い出す。夜寝るときいつも貨物列車とバイクの音がした。近くには縄文土器の埋まった公園があって、お花見をした。祖父は展示が興味のないものだったので先に帰った。

 

残酷なことに私はもう数年来祖母を訪ねていない。恐ろしいことばかり話してくるから嫌になった。争いを好むのは老人の常で、平常心じゃない人にはつかれるけど、気の毒と思わないわけではない。みんな先に死んだのだな。

 

家族の中ではいつもつまらぬ小競り合いがあり、私は小競り合いについて意外に考えることがあるからいつも雑音として嫌に思った。

 

先日ヌメッとした速さで走っているバイクが発射するところをコンビニの前の道で見たのだが、背もたれを自分でつけているし、その背もたれに持たれて後ろに引っ張られながら加速する様はどう考えても気持ちが良さそうだったし、きっと背もたれが壊れて後ろに放り出され、脳がやられるその瞬間も想像しながらやっているんだろうと思った。二人乗りの後ろに乗ってる人はドMだな。

 

つまらない恐怖しか感じていない、今の自分はきっと他者に対してドS担ってしまうんだろう将来。あんなふうに苦しみながら楽しんでる方がいい。

 


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世の中で話題になっていたこのパッケージ、外から触れば大体の内容はわかる、というような思考で持って、このパッケージになってから買わないものを触る人が増えそうだなと思った。

私はこのパッケージ面白いと思う。このパッケージにしたら何がなんだかわからなくなるような、斬新な製品を作ってみろよと思う。

 

なんでもどこかで見たような、典型的な製品ばかりだなと、このパッケージは言っているのではないか。触って量を確認するくらいしかないじゃないか、と。

 

みんな他に考えることもあるしこれでいいんじゃないか。