控えめの雨の中雀がセミをとっていた。
まず羽をむしり、動けなくしてから食べる。雀はあんなに鮮度バリバリの虫の肉を食べているんだと思った。しかも手もなくて足しかないのにうまくセミをとっている。
人生の追求する方法は色々あって、決して虫歯にならないことを最優先するとか、鮮度バリバリの肉を毎日食べることを最優先するとかある。
あまり一方向に追求するとアホだと思われ、結局バランスの取れた追求が求められる。ただし求められるようにするのがいいとは言えない。けどそこから外れて何かを偏重的に追求するような人生もまた誰かにとっての嗜好品のネタにしかならないから、ある程度そういう人生を送る人が発生することも社会からは求められているのであって、そう考えるとどんな人生も社会からはネタとして求められている。人生が消費の対象のネタになれるかなれないかは、発信力の差、理屈の付け方がうまいか、人にとってわかりやすい理屈を付けられるか否かなのではないか…。
そう思うと発信する力があるか、ないかに関わらず、わざとその発信力を小さくとどめ、うちわのローカルフード(観光ネタではなく、本当に地元の過程でボソボソと作られているような食事)みたいに、流通には乗らずに紡ぎ続けられる方が、よっぽど勝手な解釈をされて不愉快な気持ちにならず、自分が納得できる発信というものができるのではないか。別に発信というのはすぐに受け取られなくてもよく、拡散されなくてもよく、ただ発信されるだけで良いような気がする。今の発信は発信の一部分だけを筋肉増強してるみたいでなんかつまらない。
まあともあれ、放送大学に入学しようと思った。学費というのは人生のうちいつでも払えるわけではない。