いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

やるべきことを考えて、実際に身になるように手を動かすには十分な給与が保証されたうえで週休三日リモートワーク四日、もしくは週休四日通勤三日の生活が必要と思った。

週休3日の生活をし、いろいろと考えることができた。

例えば私は今は簿記の勉強もしているけれど、直近の仕事の時間を減らすために、まずMosExcelの勉強をしてショートカットなどを覚えるべきだしVBAの勉強もするべきだと考えた。それで、さっそくMosExcelの勉強をしている。こういうことをやっていくと、仕事の時間が短縮されて、結果として簿記などを勉強する時間ももっととれるようになると思うし、平日の消耗具合も減ると思う。

ただ、本当はMosExcelの勉強をしつつも簿記の勉強もするべきだし、もっと実務的でない本も読んで息抜きしたほうがいいし、ブログももっと長い文章を書きたいし、SQLとかいうものも勉強したい。

旦那と散歩をしたときに見る草について調べたいし、いいパンも焼きたい。

ワークライフバランスは週休3日でも足りないという気がする。週休4日もしくは週休三日リモートワーク生活がワークライフバランスとして有用だと思う。何が言いたいかというと理想ばかり膨らんでいって手を動かして色々着手しようと思ったら出勤する日になるので、時間が足りない。

 

 

子供のうちは何となく、学校の勉強に縛られてしまって遊ぶことも精いっぱいやらなかったし、大人になったら仕事に追いまくられてしまい、やるべき勉強もやりたい遊びもできないというのはへんてこな話だ。

 

寝ないで遊べば可能だが、私の場合仕事が数字を扱う仕事だし、多動なので寝ないと多動が悪化して、控えめに言っても首にするしかない人材になるだろう。もし今の仕事じゃない仕事をさせてもらえるなら話は別だが。

 

ちなみに夫婦両方が「仕事がいやだな」と思いながら共働きで働いている現象もワークライフバランス的にふさわしくないと思う。「仕事嫌だな」と思いながら一人がはたらき、「仕事楽しい!」と思いながら一人が働いているなら共働きでもましだと思うけど。もちろんやることなすことすべてが楽しいのが一番だと思う。

 

むかしは楽しくなくても役に立つならとか、いろいろなことを思っていたけれど、楽しくないことを続けて、一緒に住んでいる人も楽しくないことを続けているとすると、それ自体精神病になる要因で、精神病になると楽しいことも楽しくなくなってしまうのだから絶対よくないと思う。すべてを楽しくすることはできないとしても、すべてを楽しくしようと思って生きるべきだと今は思っているし、それで生きていける世界、誰もそれを責めないでくれる世界をつくりたいもんだ。てきとうなこと書きました。

 

ちゃんと考えたことを実行するにはもっと休みが必要だし無駄な時間をなくしていきたいという話。ただ、他人の時間を作るためにRPAとかを導入して勤務時間を短縮することを仕事にすることを望むかと言ったら特にそれを望むつもりはない。つまり私は自分のやりたいことをやるために自分の時間を作りたいだけなのだ。もし他人の時間を作りつつも自分の時間を作れてそれを仕事にできるならそれでもいいと思っている。

 

ただ私はたいていの仕事をやる意味があんまりないと思ってしまっているし、そんなことをやらなければいけなくなったのは会社の規模が大きくなりすぎたからなので、もう一度小さくすればいいじゃないかと思っていて、会社の規模をもう一度小さくしても稼いでいくためには、安さを売りにするわけでもなく、ほかの会社にシェアを取られないように薄利多売を繰り返すのでもなく、特別な価値のある製品やサービスを売って、それを単価高く買ってもらうのが大切だと思っている。どちらにしろ人工が減っていくなら薄利多売したところで薄利ふつう売になるだけや。この路線から抜け出さなきゃだめや。そしてそういうひらめきを生むためにも長時間勤務や毎日同じ場所に閉じこもって仕事をすることはばかげていると思う。

消費者としても薄利普通売を買うより、妥当な品質のものを妥当な値段で買う方に賢くなっていかなければ社会は良くならぬ。そのためには考える時間が必要。

 


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掃除用と体用のたわし。

というかもはや出勤する必要…と思ってこの本を読んでいる。