いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

春やずうみ

聞いているだろうか

この鋭利な春は

桜の薄いところから空に向かって伸びる光を

私たちの奥歯に貼り付け

死んだ人と見た

春を思わせる

 

このあたたかさは血管を緩め

少し私達の距離を埋める

目を細めたその人の

桜を好む心を

苦痛な仕事の合間にも思い出した

全然いい人ではなかった

 

駆け巡っていく死と

湧き出ずる若葉と

標準語で続ける仕事と

今朝足りない食パンと

急な階段と

 

話が長い

この春の容器のなかに閉じ込められた

生き生きとした草木と

歯ぎしりをする自分

動かない体と

嫌なコメント

 

とうとう埋め尽くされる文字だらけの包装紙のような

この春

遠慮しながら自分は

川の匂いをかいだ

汚いものは拭い尽くしたあとで

まだ魚が泳いでいることが許せない

ジャグジーの風呂め

いつもうるさすぎる