いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

忘れてしまうことが多い中で

一人で何気なく生きていると忘れてしまうことが多い中で、オペラント条件付けのように常に繰り返していたい。これは忘れないというものが刻みつけられていくのは同じ人と過ごす良いところだ。やたらに旅とかしたり、やたらと人と会いたいと思うときは、そもそも自分の人生ってほとんどが忘れてしまうものだということを忘れていると思う。

 

毎日は疲れて終わってよく寝て元気になって朝また仕事に行く。そんな繰り返しの中で雨が降ったり空がきれいで山が臨めたり桜が咲いたり椿が落ちたり、風で自転車が倒れたりする。

 

仕事がうまく行ったり行かなかったり金が稼げたり稼げなかったりする。買ったご飯が美味しかったり美味しくなかったりする。けどその全てきっと忘れてしまう。書いておけばよ買ったと思いながらももう膨大すぎてその時の文章を探し出すこともできないし読み返す時間もない。

 

旦那が家にいてくれて嬉しい。元気でいてくれて嬉しい。ケバブ丼一緒に食べれて嬉しい。

 

そういうことは毎日繰り返される。けどそういうことはわすれないものだ。出来事としてではなくて、感覚として降り積もっているからだ。そういうのが生活のうまい味わい方だなあと思っている。そしてそれは金を稼いでいるとか仕事をしているとか、世界を旅したとかいう話とは関係がない。

 

つまり言いたいことはリモートワーク早くして。やりたいのは定点観測。家はワンダフルで、退屈してることなんかないけどエホバの人とかも来て勧誘までしてくる。その後勧誘の内容を旦那と話したりする。