いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

普通の生き方

自分の親は若いときそれこそ終電後まで働いてたのだが、父の方は文字通り死ぬまで働いて死んだ。死ぬまで働いて死んだというより、終電後まで働くような人生を送ったせいで、結局死ぬしかない道をたどっていくような感じで精神を崩し、精神を崩しているから持ちこたえるためにスピードを出さねばならず、なしくずしに死んでいった。労災ではないし、誰も責任をとってくれない死だ。

 

旦那の家はそういうのではないし、そういうのでは無いのが普通の人生だと思って、旦那の家の人みたいな人にずっと会いたかった。旦那の家の人が手作りのおせちをくれて、とても嬉しかった。

 

父も死んだし、祖父も死んだ。

私は父みたいに死にたくはないし、祖父みたいに強くもない。今我慢すれば、辛いだけだけど、キャリアになる、みたいなのは、精神崩さないくらいが限度だ。精神崩してまで頑張る気はない。そのめにはきついけど、楽しいと思える仕事でなくては。

 

精神崩したら勉強するのが難しくなるから、結局なにをやっても後手後手になるのだ。

 

私は降りられる人間だ。

私は自分で食べるものを作れると思うし、足りなければ、足りる土地に引っ越してもいい。上司に好かれなくていい。いい人を不幸にしてまで勝たなくていい。

 

要するに自分は会社で先輩にいびられているけどやり返すモチベーションがない感じ。

 

そのうち会社員やめるし、そのうち東京出るし。

そのうち死ぬんだよって思う。

みんなに良いことをして生きていきたい。
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