いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

とくに何の感情もない女

実のところ私は何も思わなくてもいいのだ。基本的に全ての感情を湧いたそばから捨ててしまうことができる。確かに感情のために泣いたりすることはできるし、エロいことをしたり、この人を私とおんなじ気持ちにさせなければ!とか家を買うぞ!とか本当の家族を作るんだ!金をもっと稼ぐんだ!とか思う方向は自分を曲げていくことはできる。それは曲げわっぱ作るときみたいな感じ。川底に石があるから水の流れがかわるみたいな感じ。でも別に曲げわっぱの原料は曲げられなくても普通に生えてればよかったし、曲げられる必要なかったし、川の水は石なんかに変えられなくても良かった。ただ上から下まで流れてれば良かった。流れてさえいなくても良かった。

人も感情なんか持たなくて良かった。嬉しいとか悲しいとか感じる必要もないしただいきて死ねばいい。

 

感情的になり、それを他人にも理解させようとすると相手も疲れるし自分も疲れるので、自分だけで流れに逆らっていないと思うことをすれば良い。

 

基本的に人は結構みんなこういうもので、自分が好きなものは良いもので、居心地の悪いものとか肌が痛くなるものは嫌なもので、だから寄ったり避けたりしたりして、なんか人生に流れをつけたりする。嫌いなものとずっといると疲れるから仕方ない。それはもともと自分の体とか性格とかがそう流れないといけないからそう流れていくんだし仕方がない。仕方がない方向にみんなが流れてそれでもいろんな人やいろんな情報と出会って幸せにいきていけたらいいねえ。

 

感情的にならないと生きがいを見つけられないとか、なんのために頑張ってるのかわからないというかもしれないし私もたまにそう思ってるが、大抵感情的になると人に迷惑かけたり人を巻き込んだりするので、自己完結して自分で苦しんでなんで苦しんでるのか考えながらいきてそのことを人を傷つけないように書いて、静かに死んでいけばそれでいいという人生OK GO ONではないかと今は考えた。

 

土地によってそのように生きることを不可能にさせる装備などを備えている土地もあるので、そのような場所へは行かないようにしてOK GO ONな人生を送れるような自分でいる。

 

この世で起きることは全部他人のせいではなくて自分でなんとかできたことばかりなので、人のせいにしたりしてはいけないので、別に何か起きてもOK GO ONしか言ってはいけないので、このままいくと多分私は神になっていくような気がする。

 

あとみんな野菜食べな。