いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

人を見放すこと

手を差し伸べないことも見放すことに入っている。私は人を見放さないでいられる教養のある超然とした人物になりたい。その心は物心ついた時から私の中にあった気がする。

 

居心地が悪い。仕事をして、消費をして、休息をとって、人と同じような願望や悲哀を追い求めるように作られていく。聖人も凡人に作り変えられようとする。私は読書でそれに刃向かう。これまで歴代の労働者が私のように押し込められようとして押し込められた。それを外側から見ることで、「そういうことか」と思うのだ。そして眠たくなるのを我慢しながら本を読んで、それで超然とした気持ちになっている。それでいいのかは別として、私はとにかく争っている。

 

今と違う環境へ移りたくないと思い込まされる時、人は本当に不自由になると思う。気力をなくすな。自分が他人を助けられなかったことを、他人の弱さのせいにするような人になりたくない。自分できりひらける体力を、取り組み続けられる執念を。

 

何を言いたいかと言いますと、平凡ですが筋トレです。