いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

甲斐がないのはむり

子供を作ることにはなんとなく抵抗があって、そのことはいつもこのせいかと思うようなことに気づくけど、数日後にはまた違うことが原因だと気づく。

 

今日はこんなことを思った。

生まれて育って、自分もセックスをして子供を作り、いつでも職場で働いたり、金を稼いだりして教育を受けさせ、自分が病気にならないように気をつけ、子供が病気になれば気にして、毎日疲れてうるさく、いずれ病気になって死ぬ。最中に良いことがあったとしても、甲斐はない。人生とは甲斐のないものなのかもしれないけど、そこまで甲斐がなくてもいいんじゃないか。

 

子供がいなくて寂しくなったりするのもどうかと思う。人生で体験できることなら子供もいたらいいとも思う。甲斐がないからと体験しないのはもっと甲斐がない感じもある。

 

子供がどうしても欲しいというモチベーションがない。欲しくないという強い気持ちもない。生まれたからって嬉しいとかいう思い切った感情もないと思う。好きな人がいるから好きな人の子供も見たいと思うけど、好きな人の子供を育てたいかといえばそれは違う問題で、私の手を加えないほうが十分美しい。そんな人が子供を作ってもいいだろうと私は思うけれど、私の人生の甲斐のなさが、もう認めなければいけないと目の前に突きつけられるようでなんとも言えない。いやまだ甲斐あるものだという調べのために過ごしたい時間がある。子供を産んだら内臓とか骨とか痛むだろうし働くのがつらくならないだろうかとかと思うが、そもそも私はもっと働きたいんだということがよくわかる。どうせ働く必要あるけれど。

 

金がなくて苦しんでたのに、金がなくても暮らせるように慎ましくなろうとかいうのは人生に甲斐がなさすぎるじゃないか。かといってどうやれば稼げるのかな。

 

メガネ作りに行ったら光過敏だけだと普通こうならないから精神的に問題があるんじゃないかと思うのですが、とか言われて、うるさすぎると思った。

 

他にも色々先週うざいこととかあったけど、特にこれがうざかった。周りに心に問題があるとか行ってくる人がうじゃうじゃいる環境からはもう抜け出したのにまた眼鏡屋なんかに行くからこういうことになった。

 

眼鏡屋に何がわかる

心になんかみんな問題があるんだよ

matterであれproblemであれ生きていくしかない