いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

おかしいと思う気持ち

 周囲と話す中で、一番危機感を感じるのは、ここに長くいると「おっかしい」と思う気持ちがだんだんなくなるようだということ。

 

 暇な時が多いので社内ネットワーク上の開けるファイルとかを一から開きまくって見ていると、数年前の労災だなんだのまとめが載っている。骨折やけど、転落、滑って転んだ等々。最近起きた労災と同じ労災が数年前にも起きている。こないだの労災のことかと思って見ていたら数年前の労災だ。

 

 ここでは人が悪かったと思うことが普通で、システムとか工場が悪かったと思うことがあまりできないみたいだ。だから直されないままで同じ労災がまた起きる。

 

 いくら加工食品が美味しいと言っても、人が死んだり骨折したりする工場で作ったものを誰が食べたいんだろう。それなら多少まずくても自分で作って食べるわ、と私は思う。

 

 最近内部監査の季節らしい。知り合いの会社でも内部監査をやっている。私も内部監査なのでアンケートみたいなやつに正直に書いた。もうクビになってもかえってせいせいするしいいや。後年ネタにする。

 

 仕事中本当に暇なので、ウェブアプリケーションを作る調べ物でもしようかなと思っている。暇な時に仕事を見つけようとしすぎてしまうと、何かほじくろうとしていると感じさせてしまって周囲に嫌な空気が醸されるので、静かにしていたけど、やっぱあんな入力作業とか照合をするのって時間食いすぎだし、どうせ静かにしているならその入力作業とか照合をなくすアプリケーションを作る勉強したほうがいい気がしてきた。

 

 あと全然エクセル使えなさすぎなので、とりあえず自分が自宅で使っているパソコンでOffice365を使えるようにお金を払おうと思った。それにしても来年から住民税かなんかが引かれるとすると、もっと切り詰めて生活しなければいけないのかとツラミしかない。手取り12万とか言われたらお前・・・

 

 学生時代やたらとボランティアしたりする学生いたけど、あれってこんな感じの、自分の生活と将来について、考えていないよと外部にアピールするための、「モラトリアム楽しめてるよ」って誰かにアピールするための宣伝活動だったのだろうか。生まれた時から手取りとか生活の成り行きをきにするようにできているというのに。

 

 仕事での悩みというより、何というか、自分は目の前にいる他人がもしかしたら力になってくれるかもしれないという考えをなかなか持てないでいるというか、生来持たないように気をつけているので、周囲の人たちがいい人すぎて、他人と協力できる、信頼しあえる人すぎて馴染めないでいる。私と誰かが組み合って織物のようになるみたいなことが全く想像できないし、それを信じて、何となく外から見るとそれができているような先輩たちを見て、たまにかなり不安になる。でも正直儲かっていないので、もうちょっとドライにやったらいいんじゃないのとか生意気なことも思う。

 

 TPPって何なのとか調べた。何回も調べた気がするけど実感が伴わないのですぐに忘れてしまう。