いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ステータスを稼ぐために旅していたよ

 外国語を話せるといいたいなら、その国の複数の地方に行って問題なく旅した経験が必要だ、という考えで、ステータスを稼ぐために旅していた。

 

 海外留学した周囲の人たちが羨ましいから、気を紛らわすためにLCCで海外旅行をしていた。

 

 日本中の、働いても働いても支払いに追い回され、追い回される段階から抜け出したら、また次の目指すべき生活水準を示されるようなマーブル模様の生活からも逃げたかった。東京では思うように遊べない自分も、アジアでならすきに遊べる、そういう想いのために遠出した。

 

 その結果、アジアなんてどこに行っても東京に行くのと変わらない、という気持ちになった。

 

 おじさんたちが海外に10日滞在してると日本食食べたくて仕方なくなり、日本料理屋に行きたくなると話すのが不思議で仕方ない。みんな自分の庭は日本だけなのかなと。

 

 この人たちに出張させるより私にさせてくれた方がパフォーマンス高い。ベンチャーに行く人の気持ちが分かる気がした。あの年でやっとあんなことやらせてもらっても、もう人生で一番無理できる時期をすぎている。細胞分裂する音がプチプチとしか聞こえなくなってからあんなことやらされても困る。

 

 上司がいるときは上司の前で私をプラプラさせとくと見栄えが悪いから仕事振ってもらえるけど、上司が出張だと本当に何もない。午前中で仕事終わる。新人なのにマニュアル作成してる。

 

 もはや自分で仕事作るしかないんだなと思った。思考停止せずに行きたい。ねむいー。つかれたー。

 

 同じアパートの人ほんきで、静かに帰宅してほしい。ぶるんぶるんうるさすぎる。いいけど。地震の後、職場の電話が鳴りまくり、別にその地方ではないのに工場は無事か問い合わせが来た。メーカーの製品というのはいろんな人たちの技術や資本が組み合わさってる商売なんだと改めて感じた。どっかやられるとうまく作れない。

 

 旦那いつもありがとう。