いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

よく忍耐強くやってんな

 上司を見ていると、よく忍耐強くやってんなと思う。だから部長になれたんだなと思う。同時に私は部長の柄じゃねえ。疲れたんだよ本心から。聞いてると、そういうことじゃないだろうと感じるわけ。なんか変に上司の言ってることを忖度して違う方向に進めてるわけ。みんな私のことアスペとか言ってますけど(というか自分が言ってる)なんか、それっておかしいじゃん。私の方が世の中に対して誠実だし、上司の求めてることもわかってるじゃん。わざとやっているにしても。いやたぶんわざとなんだけどね。

 

 最近思ったんだけどなんで自分は宮沢賢治みたいになってんの。

 最近気づいたのだけど、法律も食品表示も、スローガンも何もかも、痛いんだよ自分には、なんかそのどれもが、他人には自分がする以上に誠実になれと求めているにすぎない。他人のくれる誠実さの、一体何パーセントを周囲の人が感じ取れるというのか。たいていの誠実さはあって当然のものと思われ、流されていく。一つ一つの誠実さに感謝すべきではないのか。守らなかった人を咎められる立場なのか。守らなかった人を咎められる給料払ってんのか。ならなんでスローガンなんかあるんだ。なんで人にそれ以上のやる気を出させようとしてるのか。社長の豚か俺たちは。たくさん喋る奴が偉いのか。たくさん喋る奴は賢いのか。ただみんな顧客のことは大切にしているんだからそれでいいじゃないか。なんで仕事に来て人が死んだりするんだ。なんで豊かになるはずの仕事で消耗するんだ。なんで登山者が行方不明になったらずっと探してくれるのに、工場で人が死んだ原因は究明されないんだ。

 

 なんで世の中にはそんなに誠実な人がいるんだ。なんで今日も工場にはちゃんと人がいるんだ。なんで消火器のない場所で働かされていると気付きながら、怒らないんだ。なんで自分のことを大事にしないんだ。なんで当然の権利どころか、命さえ犠牲にされようとしているのに抵抗しないんだ。こんなつまらない製品のために。誰かの命を救うわけじゃない製品のために。なんでこんな会社が世の中に存在し続けることができるんだ。我々は経済活動に、会社という制度に一体何を許しているんだろう。

 

 進んでいるんだよ。少しずつ良くしていく。そうじゃなくて一体組織になんの意味がある。ただ生きるだけなら生活保護をもらって一人きりでもできる。なのに工場に来てなんのために働いているんだ。挙げ句の果てに死ぬとは。なんでもっとヒューマンエラーの起こりえない環境を目指さないのか。何もかも、入力システムからファックス送信に至るまで、会議の進め方に至るまで、ヒューマンエラーを許しまくってるこの状況。

 

 酒なんか飲んでらんねえっすよ。なんで自分が宮沢賢治みたいなことやってるのかよくわからないけど、もう詩集も無くしてしまったけど。少しずつ飲み込んで一体どこに進むのか。なんで奴らは優しいんだ。なんで自分のことを守らないんだよ。なんで声を出さないんだ。嫌ですと一言言えばいいのに。なんで嫌ですというだけで切られると怯えていたり諦めるような人がいるのか。こんな世界、人権なんかない。バランスを大事にするとかいう奴大嫌い。

 

 延々とレポートを読み上げて聞かせる部内打ち合わせ、お茶汲みを命じる上司、金にならない残業。一体なんになるんだよ。上層部なんかとゴルフしたって何にもならねえ。私はもはや金を持っていないことを誇りに思うくらいには勉強する気でまんまんだ。

 

 いつのまにかゴルフなんかしないとか、上の人と付き合ってもなんもならないとか、父と同じことを言ってるので、これはダメな路線だなと思った。愛想は大事。仕事にコツコツ取り組むことも大事。この会社、全てが遅いせいで何かを1時間半で仕上げると早いなって言われる。けど人生の中の1時間半をつかったんだから有効活用してね。

 

重慶に行きたい。フットワーク軽い私に対していまだに名刺さえ渡してくれないとは時間の概念がない......。