いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

羨ましいなと感じる、というのが正直なところやな

 羨ましいと感じる、というのが正直なところだ。職場の先輩が毎日仕事を終えて暖かな家庭に帰って行くんだと、なんとなく言葉の端々からわかった時。なぜか最近、その先輩の家族にお菓子とか何かあげたいと思っていて、この感情はなんなんだろうと思っていたんだけど、同時に、自分が少々意地を張って、羨ましいと感じないように努めているということにも気づいていた。立ち止まってよく考えたら、自分はとても先輩のことを羨ましいと感じていて、実はそろそろ敵意を持とうとしてしまうくらいに羨ましいと感じているのだが、それに関して自分は敵意を持っているのではないのだということを自分と社会に対して証明するために何かものをあげたいと思っているんだとわかった。マスターベーション的贈与とでも言おうか。

 

 何が言いたいかというと、毎日同じ人と一緒に朝から夕方まで働くことで、今まで意識していなかった他人の家族とかいうものを、多分中学校とか高校以来、まざまざと感じるような環境に身を置くことになっており、それがちょっと嫌な感じを呼び起こしている。ということだろう多分。

 

 私は別に家族と毎日なんか会わなくていいと思っているし、これまでも思ってきた。色々心配なことはあるが1人で暮らしてるとすこぶる平和だ。けどそれはあくまで自分の家族に関する話なんだし、他の家族は私の家族とは違う。そして先輩がごく自然に維持している相互扶助的な役割をちゃんと果たしている家庭を、自分は手に入れて守ることができるんだろうかと考えた時、「自信がない」という言葉が頭蓋骨の裏側の膜に染み込んでいる気がしてどんよりとなる。多分初めてコンビニで働く人がレジをうまく操作できるか自信がなくて、不安になるのと同じなのかも。慣れてる人だってそれなりにミスしてるのが普通なんだけど。

 

 

今週のお題「雨の日の過ごし方」