いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

東京とゆたさんと同期と眠気と駅そば

 東京に帰ってやるべきことと言ったら母に何かを献上することと、ゆたさんに会うことくらいのものだ。あとは何か本を買うとか、そういう人間関係ではないものが多い。

 

 ゆたさんに会えてよかったが、なんか自分がブログ書くみたいな感じでぶちまけて喋っていた気がして後から心配になった。私は初めて入った会社とかいう組織にとにかくウケているのでいくらでもするめ的に話をしてしまう。ゆたさんが自分の年齢を日頃は忘れているけど、歯医者の電子カルテ見た時に思い出すみたいな話をしてて、面白いなと思った。共通の知り合いと連絡が取れないことでお互い心配してるので、そのことも話した。でもなんか職場のことどうしようってずっとどこにいても思っていて、あんまり落ち着いた気持ちになれない。ただの多動かもしれないけど。

 

 いまカツオのお刺身をご飯に乗せて醤油をかけて食べている。スーパーではお刺身がよく半額になる。こんな刺身売れないのならば刺身仕入れるのやめてはとも思うけど刺身がないスーパーというのも見たことがないからダメなんかなあ。美味しいから良いけど。旦那と食べたのもいい思い出。

 

 もう家に旦那がいないからひたすらなんか抜けたみたい。とりあえずお風呂にでも入りましょうか。寝室になんか残ってそうだから、寝室のドアは閉めたままずっと保存している。

 

 駅そば食べて家に帰って来たら雨が降ってて、同期から連絡が来ていた。旦那とも離れていると、電話かけてくれてもなかなか集中して話を聞けない。なんかそわそわしているんだよなー。一緒に住んでるっていいよなと思った。一緒に住んでるとき全然勉強はしていなかったけど。

 

 こっちのきれいな空気に慣れてしまって、帰って来てもあんまり感慨がなかった。プロパンガスの請求が来たけれど高すぎて困っている。一立法メートルあたり490円は高すぎる。眠気がなんかくるよなあ。

 

 母がリウマチの話とかしていて、老いというのは誰にもくるんだよねえと思った。とはいえなんか全ての感覚が鈍く、雲の中を生きているかのような感じがする。多分東京帰って、またこっちに帰って来て、しかも旦那がいなくなっているという変化が激しすぎるのだ。たまにこういう感じになる時がある。地面と空と光しかないように感じる感覚というか。薄っぺらなシールのように感じるとき。

 

 ゆたさんの写真また撮ったけど秘匿したくなったため今回は貼らないことにしました。悪しからず。ユリイカさんという人も誘いたかったのですが、遠すぎる急すぎるということで今回は見送りました。来月も帰ります。というのも図書館が貧弱すぎるのでそちらに帰って本を借りることにしたのだ。