いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

仕事ってこれかーー

仕事って雑用なのかなーと思い始めた今日この頃である。何も劇的なんてことはない。ただ個人の資本ではこの規模の仕事はなかなかできないから、それを就活生に向かって話したら劇的に聞こえるだけ。例えば地域のイオンに並べる量の商品を作るだけで、もう個人の資本ではなかなかできない。会社説明とかなんか強そうなこと色々書いてるけど、コミュニケーションとって集合知を活用しない会社はただの資本の力しかないんだから、こういう印象を受ける。

 

中小は中小でも、ちょっと人数多いところに入りすぎたかなという後悔をしている。小さな会社なのにみんな大きな会社に勤めているという認識でいるみたいで、その辺ちょっと笑けるというか、虚しいというか。

 

このままこの部署にいてもやることねーなというのは思う。女の子扱いやめてもらうためには勉強して資格取らなきゃ。それでも扱い変えてもらえなかったらどうするか。若い1日が浪費されていくようで辛い。私はこの仕事に人生かけてるとか言って真にうける人がいなさそうな職場だ。そういう発言が本気のものとして、当然そこにあるべきものとして受け入れられていた点、大学という場所は幸せだったと思う。十分でないにしろ、若い日々を納入するのにふさわしい場所ではあった。年取った人々の冷たい感じ、堪え難い。

 

もう荷物処分してどっか行ってしまおうかなとも思うけど、こんな体力浪費せずに生きていられる期間も貴重だと思うので勉強したいと思う。図書館が貧弱なのは、予想してたけどかなり困る。私もディープラーニングお姉さんになって伝票処理自動でやりたい。

 

工場は人が足りなくて毎日残業なのに、こっちはこののんびりだ。 

先月は日用品費がかさみ、18,000円の赤字となってしまったので、今月は注意して貯金したい。同僚の中には親が全部買ってくれたと話す人も多い。世の中の親はどうやってこんなにお金を余しておけるのだろうか。実家が持ち家と言う人がほとんどで(賃貸の人は20人のうち私も含め2人)驚いた。家賃は家賃補助をもらってるから一万円くらいしか払っていないが、それでも毎月1万円払っているのは恐ろしい話や。何も資産にならないものに1万円払っているのだから。と行っても私は資産なんかお金と自転車しかいらないのではある。

 

どっか行っちまおうかと思うが、荷物あるしと思って思いとどまることが多いので、荷物減らしてしまおうと思う。そうすれば自然な意思に逆らわずに動いて生きていけると思う。