いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

明日は卒業できるか発表される日

 お百度66/100

 大学に通っていたこの五年間、来る日も来る日も「全然進歩がない」と考えていた。思うに私は「体系的に学ぶ」ということがよくわからない性格なのだと思う。今問題としていないことがいかに「体系的に学ぶ」ことのために必要でも学びたいとは思わない性格なのだろう。高校までの勉強は、興味のあることを勉強して、それをしまくった結果、体系的に学んだ人たちと同じくらいの知識レベルに達していたように思う。もっとも、ある教科書を読むこと自体に興味を感じているなどの場合もあったから、それを読んだ結果体系的な知識を得ることになったということもたまにあった。

 

 自分は体系的に学ぶことは苦手だったし、大学に入学した動機も体系的に何かを学びたいということではなかった。むしろかなりピンポイントであった。それについて理解するためには体系的にまず学びをする必要があると言われても、その意味は、私には本当には理解できない。それは本当に課題を持たない人がやることではないかとさえ思う。でも結局外見的に博学なのはそういう学びをした人たちなので、憧れはする。でも私の体というか脳はそういうふうにできていない。私は広いところから入るより狭いところから広げていく方。そういう人間もいるのだ。今の時点ではそう解釈している。

 

 体系的な学びができる人に対する憧れのために、今まで大学にとどまっていたような感じがする。しかしどうしてもそうはなれないみたいだ。そうなれる人について理解しようとしても、それについて話すこともできず、あまり人と仲良くもなれなかった。この世の中にある頭の良さなんてものは、私にはよくわからない。それは学びの種類の中の一つのタイプに過ぎないと思った。この中ではどうにもうまくいかない。大学ではそう思い続けていた。というか体力的に往復3時間以上の通学時間がきつかったし、少し行動するとすぐにお腹が空いて、食べていると食費がかさんだ。勉強していてもお腹が空いたし、寝て起きてもお腹が空く。これは問題だし、向いていないと思った。まーそんなこと言っても仕方ないんだけど。大学を卒業できたらもっと自分に向いた方法で勉強を続けたい。

 

 ブログを読み返すと初めの頃に書いている文章と今書いている文章はかなり違うので、その点では成長したとは言えない(むしろ子供っぽくなってる気もする)けど、変化はあったんだなと思う。

 

 仕事を始めたら、私は元からかなりずっと食品のことを考えているのでこの業界では何らかのプロフェッショナルになれそうだし、自分を燃焼できると思う。頼むから卒業させてほしい。自分のために踏んでいたのではないお百度で、いつのまにか卒業のお願いも付け加えていた。

 

 新生活のためにどの家電から買うべきかなと考えている。

 人に聞くと、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器の順だろうという人が多いのだが、私は肉をちびちび食べるのが好きなので冷蔵庫は確かに必要だが、炊飯器は鍋で炊けるのでいらないし、洗濯機も洗濯板とコインランドリーでことは済むだろうと思っている。むしろ必要なのはコンロ台である。

 

 家電屋のチラシを見て指差しながら、洗濯機なんかいらないと旦那と話していたところ、それを聞いていた旦那のお母さんは私が「我慢している」と思ったらしく、私が帰宅した後に、息子(旦那)に買ってあげなさい、私がお金出してあげると言っていたらしいが、私が言いたいのはそういうことではないのである。これは自分が自分の生活をどうしていきたいかという話であって、我慢とかそういうのではない。私にとって我慢というのは、周囲は海外留学しているが、自分はお金がないしこれ以上働きたくないので行けないけど我慢とか、店長が給料ちょろまかしてるけど世話になったから我慢とか、自分の将来とか尊厳が望ましい状態から遠のいてもそれを静観するということなのであって、洗濯機の有無などは私を望ましい状態から遠のかせるものではありえないのであって、こんなのは我慢とは言えない。しかも静観しているわけではなく、自分で選択しているのだから。もし自分にとって洗濯機がないことが自分を望ましいところから遠ざけていくような存在になればその時に買えばいいんである。

 

 今のところ自分は洗濯機を買って把握しきれない水道代とかのランニングコストを払い続けるよりはむしろ把握できる出費で頑丈な服を買って、自分の力で洗濯した方がいいと考えているだけなのだ。把握できないランニングコストとか、毎月ちょっとずつ請求額が変わっているが原因がすぐにはわからない携帯電話料金などが私にとってはすごくストレスフルで、見つけたらしらみつぶしに追求したくなってしまい日常が崩壊する。あと何となく洗濯機の洗浄能力について疑っている部分があるので、自分で確認しながら洗いたいという気持ちがある。それに市販の粉洗剤の匂いがどれもあまり好きでなく、結局粉を少なめに入れてしまい、結果として洗浄効果がさらに低レベルになっている気がするので、もう洗濯機を用いて粉洗剤で洗う生活自体をやめたいのだ。

 

 このようなことを説明したのだが、旦那のお母さんはやはり「我慢している」「かわいそう」という感想を持ち続けているようだ。私は大変申し訳なく思った。誰もが快適と考える三種の神器プラスアルファの生活とは違う生活を目指す時には、容易には理解できない生活をしようとしているんだということをちゃんと自覚しなければならないんだと思った。こう言った話はあまり人前ではしないか、もしくはちゃんと時間がある時にゆっくり話すようにしたいと思った。ただし私のお母さんも旦那のお母さんも基本的に「人の話を聞かない」タイプなので自分の物語を生きている。これを納得させるのは至難の技である。私も歳をとったらそうなるのであろうか。気をつけたい。

 

 私の家電に関する要求は偏っていて、とにかくうるさいもんは嫌いだ。でも少々うるさくても美味しいものを食べさせてくれる家電なら買いたい。

 

 テレビ:そもそもうるさくするのが目的の機械なのでいらない。

 冷蔵庫:騒音はわずかであり、美味しいものを食べられるので買う。

 洗濯機:うるさい。いらない。

 ガスコンロ:騒音はわずかであり、美味しいものを食べられるので買う。

 掃除機:不倶戴天の敵というくらいうるさい。絶対に買わない。自分で掃除機かけて騒音出すことは、自分で自分の奥歯を引き抜くくらい苦痛なこと。ルンバは欲しい。静からしいので。ただ泥棒が入ってルンバがあったら真っ先に盗まれそう。

 エアコン:うるさい。いらない。

 こたつ:騒音はわずかであり、みかんを美味しくする効果がある。買う。

 扇風機:騒音はわずかでありこれにあたって食べるご飯は美味しい。買う。

 車:ランニングコストが悪夢である。でもあの風の強い土地では自転車で移動するより静かと思われるので検討中。風は疲れる。

 食洗機:騒音が出るしそんなに皿はないのでいらない。皿が傷つくのも嫌。

 炊飯器:騒音はわずかだが、鍋で炊いた方がおこげもできて美味しい。買わない。

 

  電子レンジ:騒音は短時間で、大好きなピザが焼ける。買いたい。優先度は低い。

 

 こんな感じ。この中ではルンバが一番値段の面で難易度が高い。とにかく静かにして欲しいものだ。自分一人生きているだけで騒音が生じるというのに。

 

 話は変わるが、家の鍵がうまく回らなくなった。鍵穴に鍵を差し込むと引っかかってしまいうまく回せない。何回か挿し直すことが続いていた。それを管理会社の人に相談したところスプレーを貸してくれて、それを鍵穴に吹き入れるとすぐに治った。なんか滑りが悪くなっているということだったみたい。てっきり鍵の交換になって面倒かと思ったが、このひと吹きで全て解決だ。得した気分である。胃の具合はまだあまり良くないが。

 

 塀で囲まれた一軒家の庭に白梅が咲いているのが少し見えるけど、木が茂っていてはっきりと鑑賞することができない時、一軒家の持ち主にジェラシーを感じる。それだけ。

 

 昨日梅の木を見たときは梅の花が空に吹き上げるように咲いていると感じたが、今日見たら同じ木なのにそうは感じなかった。夜と日中の違いかもしれない。そうではないのかもしれない。

 

 二冊並行して読んでいるけど、

新版 漱石論集成 (岩波現代文庫)

新版 漱石論集成 (岩波現代文庫)

 

 

坂口安吾論

坂口安吾論

 

  どちらもとても面白い。難しいけど。

 

 

 あの地震の時は、家にいて、弟をテーブルの下にしゃがませていた。

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