いのちばっかりさ

生きている記録。体を鍛えて学び働きたい。

人のこと ※ご飯中には読まないでください

 高尾山に登った時に、女子高生ぽい四人組の後ろをついて歩いて話していることなどを聞いていたんだけれども、これが割とおもしろい。女子高生の後をつけているなんて、なんかおかしいけど、こんなことをするとやはり女に生まれてよかったと思う。いろんな人に近づいて話を聴きやすいよね。おじさんに話しかけられたり、握手を求められたりして妙な感じになることもあるけど、脚力で逃げれば良い話ではあるので基本的に得だよね。

 

 山に登ると、山の途中に標識みたいなのが立っていて、頂上の方向とか、頂上までの距離とかが書いてあるの。でもたまに距離が書いていない標識もあって、女の子たちはそれを見て、「後何キロか書いてくれればいいのに!」「そうだよね」みたいなことを話していた。やはりどの程度来たか知ることって大事だよね。

 

 あと、「後20キロくらいかな?」「いや2キロだってさー」って話している二人がいて、それを聞いて別の子が、「20キロって言ってから2キロって言われたから2キロがすごく軽く感じる」と言う趣旨のことを言った。自分としてはこの別の子の発言を聞いて、この子っていい子だなーと思った。

 

 まあそんなこんなで、どんな人の話でも余裕がある時に聞けば案外に面白いこともあるものだなと思った。

 

 今日は変なところから東京に電車で帰る途中で、車内にトイレのある車両に乗ったのでトイレに行った。で、トイレから出た時に待っている人がいたので「(先に行かせてもらって)ありがとうございます。あとトイレットペーパー切れてました」って言ったんだけど、そしたらその50代くらいのおじさんなんだけど、「小の方だから大丈夫です!」って笑顔で言われたんですよね。なんか私っておじさんにこう言うことを平気で言わせてしまうところがあるんだよね。ちょっと真剣に悩んでいるんですけど。ふつう、異性の若い人に「小の方だから」とか言わなくないですか。そこは「あ、大丈夫ですありがとう」とか言うところだと思ったんですけど、「トイレットペーパー切れてました」と言った時点で私もおかしいのだろうか、と思い直しました。でもトイレットペーパーあると思って「大の方」の場合困りますよね。その時私は思い返して、反省したんですよね。ここは何も言わずにトイレの中にポケットティッシュを置いて出てくればよかったんだと。でもその時には自分がポケットティッシュを持ってることを忘れてたんですよね。だから自分が持っているものについては必要な時にすぐに思い浮かぶようにしなきゃいけないですよね。つまり前もってポケットティッシュを荷物に入れる時に、「これは口を拭うのに使える」「これは汚れをふきとれる」「これは鼻水をかめる」「これはメガネをふける」とか、そう言うことを考えておくべきなんだなこれが。ていうかみんなトイレに入ってからトイレットペーパーがなかった時どうするんですか?特にもうすでに用を足した後に気づいた場合どうするのですか。いやこう言うことを聞く時には私も自分がどうしているかを書くべきだとは思うのですが、ちょっと今日は気分がすぐれないので(逃げ)。

 

 地方って、もう誰もいない家とかがふつうに建っていますね。それが少し怖かった。でも住み着いても全然バレなさそうで、まあだから怖いんだけど、そういうもんかと思いました。

 

 少子化高齢化と言う言葉を聞いてもあんまりピンとこないけど、なるほど住んでいる人が死んだり施設に入ったりして、そしてその後には誰もこないと言うことなんだなと、こういうのを見てなんかわかってきた。地方で滞在していると人身事故なんか少なくて、自分はこんなとこにいて、本当の人間の苦しみってものがわからなくなるんじゃないかと少し感じることがあるけど、まさか苦しみとか悩みとかいうのは死ぬ瞬間を見ることだけが重要ってわけでもない。けど目の前で人が電車に飛び込むような光景は、都会名物というか、激しいだけあって本当に忘れられないものだ。だけどその激しい瞬間が生み出される背後にはこうした静かな社会の移り変わりがあると思っていい部分もあるのかななどと感じている。

 

 二十四年間東京に住んできたから、何かと地方に行ったら感じることが多いだろう。今日の「小の方」のおじさんは結婚式帰りで、息子が教員採用試験に落ちたけど、でもそういう失敗が後で学びになるよねと父として思っているらしい。なんでそんなこと知っているかというと、あの後めっちゃ話した。

 

 追い詰められてると人の話なんかあんまり聞く気にもならないときあるけど、今は少し余裕が出たのかもな。卒業の方よろしく頼みます。

 

 久しぶりにオーザック食べたらやっぱポテチの中で一番美味しいと思った。ちなみにちょっと躁なので気をつけたい。その様子が文章にも出てしまっているのでもう自分をごまかせない程度には躁である。