いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ひなあられが全然売ってない

 ひなあられというのはあれだ。ひな祭り翌日とかに半額になっている。それが今年はひな祭り当日に観に行くと、西友スーパーにもセブンイレブンにも売っていない。なぜ。

 

 あとハマグリがめちゃくちゃ高くて、四つで700円くらいした。母が買ってくれて、嬉しく思った。私は高いからやめとこうよと言ったのだが、実際食べたらかなり美味しかった。

 にしても四つ入りか。私の子供の当時は、やはり四つとか九つとか、縁起の悪い数で物を売ってはいけないという意識が浸透していたのか、ハマグリとかも四つでは売ってなかったような気がする(そう思い込んでただけかも)のだが、最近はなんでも数にこだわらず入ってる気がする。それでも人の家にお土産を持って行く時などは、私などは四つとか九つにならないように、1つ増やして多めに買っていったりする。四人しか食べる人がいない場合でも五つ買う、とか。みなさんはどうですか?

 

 母がピザを作ってくれて、卒業できれば、私にとっては家で最後に過ごすひな祭りだから、今年は意識してるのかなと思った。ただし母はスロースターターなので、なかなか買い物に出かけようとせずに、私が無理やりせきたてて買い物に一緒に行かなければ夜9時近くまで材料も買いに行かないという結末になりそうであった。買いに行ってからはシャキシャキ進んだのだが。

 

 ピザをアルミからはがすときに、剥がしにくくて、箸とフォークを用いて、あついあついと言いながら剥がした。はがすのは母の方がうまかった。

 

 こんなエピソードをいつかは懐かしいと思うことだろう。

 ハマグリの潮汁には菜の花を入れてくれた。久しぶりすぎて、潮汁ってこんな味か、と思った。主に菜の花の甘みが潮ぽさを食ってる感じで、あまり潮ぽさがなかった。

 

 ひな祭りということがもうよくわからない年になった。3歳ぐらいまでは本気でひな祭りをいわっていたような記憶がある。写真もある。写真を見て記憶ができたのかもしれないが。

 

 私が高校生の頃何もしなかったという話をしてたら、母がそんなことはなくて、家族のために食事を作っていた、という話を言った。私としては何か漠然と家族のために時間を取られていたような記憶しかなくて、そういえば毎日家族のために家事とかしていたけど、食事を作ったとかそういう具体的なことは忘れていた。毎日やってたのに不思議だ。いや覚えていたけど、ここのところ思い出さなかった。先のことに必死でね。それに母がそれを覚えていたということに驚いた。よく考えればまだ高校を卒業してから5年くらいしか経ってないの?とても長い時間が過ぎたきがしてた。

 

 私にとっては、大学に入ってから家事をしていたことのほうが高校生の時にしていたのより辛かった。長い通学時間と満員電車で疲れ切っていたからなあ。就職したら、今度はしばらくは、なんでも自分のためにすることができるんだと思う。それはそれで辛いんだろうと、もうどっちでもいいんだ、そんな気持ちになった。

 

 今日は母に興味を持たれており、いささか居心地が悪い。

 

 これから一緒に桜餅を食べようと思う。今日は随分母が買い物した。私はなんか辛くも思った。