いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

いけない墓と梅の花

今日のはばらばら

百度54/100

 

 今年は梅が同質性を持っている。農家の庭の梅も、畑の端の梅も、道端の梅も、屋根の上に見えている梅も、「梅」であるということをやっと今年になって認識したような気がする。

 

 

 お父さんとお母さんのどちらかを裏切ることでしか、親に対する好きとか親愛とかの感情を表せなかったあの奇妙な子供。奇妙な家庭。

 

 ルックチョコレートのデザインが変わっていて嫌だった。バレンタインデザインだったみたい。店をはしごしていつものデザインを探した。なかった。

あのデザインには思い出がある。たぶん思い出のためにしか食べられなくなった菓子でも、この世の中では結構人気と捉えられているものはあるだろう。思い出があるようなものは土産にもしやすいもの。

ルックチョコレートの難点は、四つの味があり列ごとに味が違うのに、食べてるうちにチョコレートが横にずれていってしまい、最後の方などはどの列がなんの味がすっかりわからなくなってしまうところだと思う。

 

 私のブログを、だめな人の象徴として、または例示として他のブログに引用してももちろん良い。

 

 どんな形であれ引用してもらったりコメントしてもらったりしているのにそれに返事がかけないことは自分にとって残念ということ。けどいまはあまりそれに集中しないつもりなので(単位取りたいので!)、感謝しつつも、いつかちゃんと返事します、というポリシーでいきます。

 

 

 死んだ人は、

「100年はもう経っていたんだな」

それでもやはり会いにくいと思う。そういう人物であった。

 

 食卓に現れる花にはいつも意味があった。誕生日、母の日、結婚記念日。だからその花をちゃんと観察しなかった。意味が与えられたから、その意味のためにあるとしか考えなかった。

 

 そうですね、お互い頑張りましょう!

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