いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

新しい

百度34/100

 

 新しい生活という言葉は変だ。「春からの新しい生活に備えて」。もし新しい生活が始まってしまうならわたしは一からやり直さなければならない。新しく始まることなんかない。

 

 死んだ人の生きていた生活と、馬鹿げた小説みたいなこの街での生活と、春からどこで過ごすかもわからない生活は、全部繋がっている。わたしはいろんなものを見つけた。そのことを他人には話さないでいたい。

 

 勉強しろと言っていた、本を読めと言っていた。それは自分が高度な工夫をしたのを、誰も理解しなければつまらないからじゃないか。

 

 まるで台本に引っ張られるみたいに終わっていった。もしわたしの読みが正しいのなら、わたしが理解したことを喜んでほしい。喜んでる顔を見せてほしいのだ。この春わたしにはどうしても行かなければいけないところがある。あなたと行くはずだったところだ。申し訳なかった。何を今更意味がない。

 

 もう新たな伏線を抱えたくない。でもまだ探し回っている。長い道を歩いて来ました。短いと言われても、私にはこれしかないから、長く見える。みんなお疲れ。