いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

アーレンレンズ作れず(どーしょもない鬱な日記ですが仕方ない)

  最近アーレンシンドロームという光過敏に由来する読字障害を疑い、筑波大学に通って、専用メガネレンズのフィッティングをしていたが、フィッティングを通して結局私の見え方にあったレンズを見つけることができず、アーレンレンズは作れなかった。

 

 光過敏がつよいので色の濃いレンズを入れたいのだが、どのレンズも入れると圧迫感があり気持ち悪くなるという繰り返しだった。最後にこれしかないやということで妥協のレンズを選び、それをかけている時とかけていない時の両方で文字を読んだ。読むスピードを測ったところ、とくに改善はない。改善がないなら高いレンズを買う必要ないよねということで、レンズを発注するのはやめた。

 

 結局、アーレンシンドロームではあるので所見は書いてくれるらしい。でもそれが大学に提出されたところで誰もちゃんと見やしない。

 

アーレンシンドロームのレンズで改善しなかったということは、アーレンシンドロームはたいした問題じゃなくて、私って躁鬱だったのかな。中学生の時と大学受験の時だけ躁状態で、あとはずっと鬱で、それで勉強とかできないってだけなのだろうか。鬱病の検査質問とかで、「死にたいと思うことがありますか」とかあった気がするけど、それって私物心ついた時からかなり頻繁に思ってるからよくわかんないよ。親が死にたい雰囲気出しまくってる人だから、ご飯食べるのと同じように死にたいと思うことも教わっちゃったのかな。てか家族もあんなに死ぬ死ぬ言っといて一人も自殺しないじゃん。別にいいけど。私ってほんと家族嫌いなのね。つかれちゃうよほんと。

 

 躁鬱とかいうとすぐ服薬しろっていうけど(昔は電流流せとかもあったのでしょ)、服薬なんか絶対したくないね。服薬しなければ直そうとしてないと考えるのはおかしいと思う。服薬するくらいならたとえ社会的ステータス的なものを失おうとも、服薬しないで生きていけるところに行く。

 

薄々分かったのは、アーレンシンドロームの検査してる人と話が噛み合わなくなったということ。検査してる人が探してるような症状ではない。字が読めないことが問題なのではなくて、読んだことを飲み込めないのが問題ということなのだよ。私の読めないはたしかにアーレンシンドロームのそれもあるけど、もっと情報処理的な問題なのだよ。脳がもういっぱいというか、いくら注いでも受け付けない感じ。中学生の頃あの素晴らしい吸収力の時にもっと生計を立てられるような内容を学んでいれば。なんであんな嫌な変な教科書なんか暗記してたんだろ。

 

 母が弟の大学院進学の費用を出してあげるんだってさ。なんでいつも弟にご飯を作ってあげて家事もして、弟が学校に行かない時は弟の学校にプリント取りに行かされて、弟がエアコンある部屋で寝てる時に寒い部屋で寝かされて、弟にもの取られて売りさばかれて、受験勉強してる横でゲームの騒音マックスで聞かされて育ってきた私が、いまは大学で本も読めなくなってて、他方弟は親に学費出してもらって大学院にいくんだろ。別にいいさ。世の中の人はできることやりたいことをやるのがいいんだからね。元々人のために自分を犠牲にするという考えが良くなかったのだ。

 

 でも家族だけは近いからこそ許せないって思ってしまうことがあるよ。つーかうちに大学院いくお金なんかあったのか。お金ないから食費もっと節約しろって言われ続けてきたのはそのためだったのか。私はてっきりうちには本当にお金がないんだと思った。そう思ったから休学しなきゃいけなくなるまでバイトもして頑張ったのに。そもそも大学進学のために家を出なかったのはお母さんが近くにいてくれないとと言ってたし、父も脅迫みたいな電話かけてくるしすぐ近所に引っ越してきて怖かったから。あの時家を出ていればこんな風にならなかったのだろうか。なってたかもしれないけど。

 

 

 もし私に子供ができたらちゃんと自分がいくら稼いでるか教えて、予算もどうやって組んでいるか、いくらくらい進学のために足りないのか話して聞かせる。子供はつくるなら一人しか作らないか、もしくは何人かいてもみんな平等にする。

 

いまはとにかく大学を卒業さえできればいい。そうしたら私は母から離れて、家族とも好きな時しか会わないで、もう誰のために自分を自然に犠牲にしてしまうようなこともなく自分の人生を生きていく。

 

人のものは盗んで売ったり、借りた金は返さなかったり、時間を割いてくれた人に害を与えるような人は世の中にいっぱいいるだろうし、それ自体仕方ない事とは思う。でもわざわざその人を家族として選ぶかといえば選ばないやろ。私はもう親に褒めてもらわなくてもいいし家族のためにならなくてもいい。世の中で生きていくんよ。この世の中には何もなくても。自分の力で生きていくのよ。自分が何者でもなくても。

 

 とか考えていたらお腹を本格的に壊しました。やばい。弱すぎ。がんばろ。

 

 と思って、大学の向かいのお店でお母さんにお土産で買ってきたチョコレートを私が自分で食べました。お腹治ってほしいとか言いながら。死ぬまで毎日今日より明日、今より後が良くなるように自分を鍛えたい。