いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

友人が結婚することになった。

 友人が結婚することになって、その二次会の出欠登録のリンクがLineで送られてきてそのことを知った。ザギンの高級バーを借り切って二次会をするらしい。そ、そうなのか。

 

 私は結婚が大嫌いである。

 

 このお知らせを受け取って長らくの間(あろうことか夜中に送られてきてたようなので朝目覚めて見つけた)、私は苦しみ、あろうことか現代人らしくネットで同じ意見の人を見つけようと躍起になって検索した。ありがちな人間だな私はと思いつつ。悲しくなった。

 

 両親の結婚について、泥沼だったというほかない。一つ一つのシーンを思い出せば心臓の皮が焼けただれるかと思う。完全にトラウマである。結婚する人を見るとすごく不快になる。結婚した夫婦が上手くやってるというか、なんとか日常を回している様子を見るのはわりと好きだ。現にそういうブログをいくつも購読している。そういう話は私にとって新規性があり、物語だ。素直に嬉しくなることもある。

 

でも結婚はマジで嫌いで、叔父の結婚式に呼ばれた時は辛くて気持ち悪くてほとんど泣いていた。というか半泣きだった。子供だったので仕方ない。なんで私が苦しんでるのにこいつらは幸せになろうとして、幸せになれると思い込んで……!などと中二病も患っていたし、そう思っていた。

 

 私は結婚が大嫌いだが、旦那(彼氏)と結婚の話をする。結婚しようと言う話をする。そしてなんかこれは違うなと思っている。ある時から旦那が結婚について話し始めた。これは私と結婚してもいいくらい好きだと言うことを究極の形で示しているのだとわかる。私は結婚はしないと言いながら、その気持ちは返したかった。他のいろんな方法で同じくらいの気持ちだと示そうとした。でも最後にこの気持ちは同じように結婚しようと返すことでしか、旦那に伝わる形では返せないのだとわかった。世間からの借り物でしか伝えられない気持ちもあるのかなぁ。

 

 私は旦那のことを母に話したこともないし、母の目に触れさせたくない。旦那が私の「彼氏なの?」みたいに言われたくない。私の旦那はお母さんの言う「彼氏」じゃない。私の「交際」はお母さんとお父さんやお母さんと他の人がした「交際」じゃない。離れていってくれ。

 

 母に「彼氏いないの?」と聞かれた時、いないと答えている。「彼氏いないこと気にしてないの?」と言われたら「全然気にしてないよ!」と言う。「気にしてるんでしょ」と言われるが、「いや、べつに」と答える。母は気にしてるに違いないだろうと思って聞かなくなる。不快だ......

 

 どうか母の目に触れないところで、自分の家族とは関係ない違う種類の家族として、あのブログやあんなブログにあるようにな、良い家族、暗くないやばくない家族として旦那と暮らせたらいい。

 

 世間の幸せから離れても、私が旦那のことを一番に考えられる環境であればそれでいい。旦那が死んだら私も静かに死んでいなくなる。そんな静かなことでいい。

 

 簡単に別れられなくなることに異存は無い。ずっと一緒にいることにも異存は無い。介護するのも異存は無い。扶養し合うことも、問題ない。特に結婚という制度を利用したくは無いが、それをすることで旦那に好きな気持ちをわかってもらえるのなら結婚することにも、異存は無い。けどこの結婚は両親や世間の結婚とは違う。何が違うのか。それは私が結婚を死ぬまでの大切な物語だと思うことにしていて、決してくだらない間違いを犯さず、相手のことを考えて最後死ぬことで終わる世紀の一大実験であると考えている点において。

 

 死ぬことを考えてるわけである。いかに最後まで生き、綺麗に共に消え去るかということを真剣に考えてるわけである。

 

 そんな閉鎖された結婚について、母や他人に何か言って欲しく無いし、知られたくも無い。知られたら汚れそう。で、ある。そして私は他人の結婚式の二次会なんか見たく無いし、見たらきっと気持ち悪くて死にたくなる。というか何が楽しいの?

 

何が言いたいのか本当にわからない記事になった。なんか私っていつまでも中二病?そんな気もしている。

 

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メールが来た。

自動車学校です。14:00ー卒業検定(普通AT)
開始10分前までに配車受付を済ませて下さい。

 

 

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