いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

感情というやつ

感情というやつは、神がいるなら神が作った最高のものじゃないか。いつまでも湧いてくる。手を替え品を替え、何が起こってもまだ新しいことを思う。感情のおかげで私は死者を蘇らせることもできる。ホーチミンで、大月駅で、ドバイで、マンホールの見えない函館の道、布団を抜け出てあなたはまだまだ歩いているだろう。私が忘れるなら、一緒に生きる人もいなくなる。今年もまた家族と過ごさない正月が来る。家族に理解されなくてもいい。家族は、私と共に人が死ぬまで迫害し、一歩も自分の喜びの域から足を踏み出して苦しまなかった悪人。また新しい人を私は憎んでしまう未熟。

 

冷たいまな板みたいなアスファルト。メガネをしたら、葬式ももっとちゃんと見えたんだろうか。ガラスを通してみるこの世界が、本当のこの世界なのか?私だけが知ることのできる高貴な感情じゃない。自惚れじゃない!これだけはそうじゃない。他人と自分を分かつためだけの悲しみじゃない。

 

痛みがあったとして終わってと頼んだわけじゃない。幸せになれたわけじゃない。死ぬことを願ったことを反省している。反省しても意味なんかない。冷たいまな板みたいな風呂場だな。洗う気にならない。どの果物が好きだったか忘れてしまいそうだ。怖い。私だけが味わう高貴な感情じゃない。優越するために言ってるんじゃない。優越するために見つめるんじゃない。普通の感情を私から奪い去らないでほしい。お前たちが視界に入ると全てがかき乱される。嘘か本当かもわからなくなる。私はお父さんじゃない。

 

今思うことは、戦争が起こって、たくさんの人が死んで、そのあとで平和が来たら、その戦争の前に死んだ人とまだ一緒にいられるかということ。一緒に行った全ての場所が焼け野原になって、もう我々を知る人が一人もいなくなったとしても。

 

探しに行かないと、いなくなってしまう気がするんだ。探し続けることが生かし続けることであると思っていて。Too emotional だよな。お前に何がわかる

 

 

 

 

 

One More Light

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