いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

大学の文化

大学での配慮願いをめぐる様々な出来事は、まるでこの社会のミニチュアみたいだ。いつか見ていろ、、、とは言ってみても大して見返す機会もない。就活のが楽だわ。

あなたがた、いい加減意地を張って見えるものを見えないように振る舞うのをやめないか。正常過ぎる全てが充足し、プラスチックみたいな人間像をベースとするのをやめるきはないのか。それに当てはまらない人間を怠けてるとか、義務逃れ、なんとかなると思ってたから、なんとかできなかったんでしょうと、言うのは、やめないか。不要なんだねそんな意地は。じつはあなた達と違うようにしか世の中を見ることのできない人間もいるのだ。性格とかじゃないんだよ。先生、先生みたいな人を見てるのは楽しいし、私は先生みたいな人が好きですよ。先生みたいな人は、ずっと自分が正しいと思っていきて行くのが似合っています。だからいままで生きてこれたんでしょう。先生みたいなひとはすきですが、やることがあるときに向き合うのはきついわ。悩み事をあなたにはなし、何もかも要求されるばかりで、感謝しろと?

あなたみたいな人は、見ているぶんにはとても可愛いし好きだし、キャラ立ってるけど、誰かを助けるときに、感謝しなさいと言いながら辱めることなんかできないはずだ。

この世に根性足りないからうまくいかない人とか、なんとかなると思ってたからうまくいかなかった人がいると考えるのは、あまりにも表面的だよ。深く見たってわからないような未知の可能性に苛まれている人に、自分の苦しみやうまくいかない状態を立証させ、立証できようができなかろうが、最後には辱め、マウントして帰宅させるのがお前らのやることなんです。

私は絶対あなた達みたいな人にはなりませんよ。

嫌なことがあった時は民俗学者みたいにうなずくこともできるけど、一方で人間としてやはりブログ書くよ。