いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

いやにつらくていやがる

 この二日、三日、嫌に辛い。なんとなく気分が落ち込んでいる。むかし家庭教師で教えていた不登校で家の物を破壊してしまう女の子は、「普通の人がどういう気持ちで生きているのかまるでわからない」と言っていた。私もわからないよって言ったけど、今も本当にそう思う。普通の人というのは何を思っているのかわかるためにブログを書いてブログを読んでいるのかもしれない。

 

 私は優秀な家庭教師だった。教え子は3人とも志望校に合格した。でも私の人生は全く円滑にいっていない。たまにFacebookで教え子を見るけど、私は相変わらず変な有様で、神経だけが人間の形になって生きているようなオブジェとして存在している。普通の人がなぜ笑っているのか、なぜその状態で平気なのか、なぜ普通に毎日起きることができるのかわからない。でもきっと人生なんかそんなものだ。

 

 たまに自分の目つきがおかしいって感じることがある。誰に負けるとかではなく、自分の体力のなさに負けそうな時がある。他人に対して怒りを感じたくない。

 

 他人に対して怒りを感じるのは疲れる。最後はじゃあ私はどうなんですかと思ってしまうので。小説でも読んでぐちゃぐちゃな時間軸で生活していたいんですよ。でもそう思う反面、世の中の役に立つ人間になりたいというか、いや、別に世の中に役に立たなくてもいいけれど、自分仕事で様々な場面で相手を満足させたい、人生を充実したものにする糧になりたい、そういうことを期待するような現場に出くわしてみたい、そんな気分もある。

 

ミドリ MDノート<A5> 横罫

ミドリ MDノート 横罫

 

 

 

縄文人の世界観

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