いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ブログの効用

お題「はてなブログをはじめて良かったこと」

 

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※写真は四川のホテル(内容には多分関係ない)

 

 

 はてなブログを初めたのはなんかあんまり色々が円滑に行かない時期だった。例えばどんなところが円滑でなかったかというと、大学生という身分に馴染めず、ゼミでもうまく行かず、バイトにも疲れてもう働きたくないでござる的な状況であった。

 

 実は大学に入るまえ高校の頃はFC2ホームページでブログを作り、日記を書いていた。今でも書くのは遅い方だけど、その頃は2時間くらいかけてやっと今書いているのより短い文章を書いていた。夜中にネットでそういうものを書き、早く寝ろと親に怒られており、高校の授業は基本寝ていた。

 

 読者はほとんど直接の知り合いか、知り合いの知り合いだった。友人や学校の先生と相互リンクを貼りあった。とても恥ずかしい内容だったけれど、承認欲求のために続けていた。多分、承認欲求のためだった。家族と学校以外の居場所があることも嬉しかった。

 

 それからそのブログをやめ、しばらく何も書かなかったと思う。そのあとこのはてなブログを始めた。はてなブログを始めて何が良かったか、早く言えと思われるかもしれないが、はてなブログを始めて良かったことは、あんまりよくわかんない。

 

 でも家族と学校以外の居場所というか発言場所があることは、今でも私のためになっていると思う。直接の知り合いは読者の中にいないと思うので、承認欲求はあまり今では感じていない。はてなブログの機能はとても多いから、私は全然わかっていない。使っていない機能ばかりだ。何かオススメの機能があったら教えてください。使っていない機能ばかりだけれど、いろんなことができるんだろうと思えることで、サービスを利用していて楽しい気持ちになれる。

 

 またこのブログは全員に公開設定なので、基本的に世間に対して公開できないことはかけない。身バレする可能性もあるので気にしている。そのことによって実生活でも、うっかり喋っちゃった事件を生まないように注意するようになっている。これも紅葉といえば効用か。

 

 2015年に始めたこのブログは今年が一番熱心に書いているけれど、今後ももっと熱心に書いていきたいと思っている。正直何も役に立たない内容だし、私の愚痴だが、案外真面目な悩みとかも書けている。私は実際に人に会って話すときに、人を待たせることが嫌いである。だから基本的に間を埋めるようにバリバリ話す。そんな感じでは真面目な悩みなんてものは話せないけれど、このブログを書いているときはどこで休んでもいい。

 

 はてなブログには様々なブロググループがあって、だから自分がどのグループに参加して、どのグループには参加しないのかということを常に考えている。そのことも私にとっては、いいことかもしれない。何がいいのかと言われるとちょっとよくわからないけど、どちらかといえば何にでも参加しなきゃという強迫観念がある方なので、グループ内の人のブログを読んで、考えていることを知ったりすることによって、このグループは私とは違う人たちだとか、同じ興味だけど、スピードやリズム感が違う、とかわかることができる。そういう段階を踏んでゆっくり決められることはいいことだと思う。就活みたいかもね。

 

 ある意味今から書くことがいちばんの効用かもしれない。ブログを2015年から続けているので、読んでくれている読者さんがいる。読者さんがいてくれることは嬉しいが、その嬉しさより大切なことは、全然助けてとかくれないし、私のことを助ける義理もない人たちが、私のブログを結構長い時間読んでいてくれているという(ある意味当たり前な)距離感を味わうことができるってこと。実生活でも、周囲の人は私のことを見ていても助けてもくれないし、助ける義理もない。私は長い間そういうことが理解できていなかったんだと思う。圧倒的多数の人は傍観者とか、たまにスターをつけたりコメントしたりするくらいの距離感なのだ。私はそのことを20年以上この世界にいてもわかることができなくて、ブログを更新することでゆっくりとわかってきた気がする。まあある意味私はちょっと変だから、周りのことを誤解していたんだろう。たまにスターをつけたりコメントしたり、そういうことを通じて楽しんだり、相手の趣向を知ったり、お互いの言葉を大切に思ったり、人間関係というのはそう言ったものだったのかなと最近思っている。

 

 宮沢賢治が言ったことは、全世界の人が幸せになれないうちは、私の幸せは成り立たないとかそういうこと。私も長い間そう思っていきてきた。誰かが自殺するのは私のせいでもあるし、みんながその罪を背負っているんだと思ってきた。子供の頃から私は、天災が起きて人が死ぬと、まるで知人の子供が死んだかのように心が痛んだ。苦しんでいる人はみんな仲間、というような感情があった。きもい。そして他人にもそういう心を求めた。あるとき身近な人が死んで、周りの人も私も、その人を助けなかったんだクソだと思った。世界や私自身に期待することなんて何もないと思った。そのことから私はかえって心を開くことができたと思う。だんだん、ただ見ている人がいることを受け入れられるようになった。

 

 私は世界というより、まず自分のことを考えなければいけないんだろうと思うようになった。そして私も、一定の場合を除いては、ただ見ているだけの人になっていいんだろうと自分に許すようになった。あまりにも独特かもしれないが、これが私にとってのブログの効用で、そう思わせてくれたのははてなブログにいた人たちなので、これをはてなブログの効用と言ってもいいだろう。

 

 

 

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

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暗夜行路〈前篇〉 (岩波文庫)

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暗夜行路〈後篇〉 (岩波文庫)

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