いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

幼児化 ママとの絶望

 子供にはいろんな種類の人がいる。私の母は、私の種類なんかには興味がなかったし、子供というのは愛してるよと言っておけば感謝してくれるものと思っているようである。実際には子供には様々なタイプ種類がある。

 

 最大の問題はどのように金をかけてやるのが一番いいか、という点について様々な種類がある。その子供の種類にあったお金のかけ方をしないとダメで、まるで金も子供からの愛情も丸ごとダメにしてしまう。

 

 でもその前に大前提として、言語を学ぶことがとことん不得意で手のつけようがないという子供以外に対しては、商用に便利な外国語(できれば学校で習う英語以外にスペイン語や中国語など)を習わせておくことは子供のことを思うのなら良いことだと思う。もし将来その子供が発達障害とか突然の事故とかでうまく世間のレールに乗れなくなったとしても、その時に情報を集めるにしろ、突破口を見出すにしろ、理解できる情報量が何倍にもなる。またその外国語の能力で食べていくこともできる場合がある。この外国語は生はんがな教え方ではなく、ちゃんと継続して大人が通う教室などに通わせて学ばせるのが理想だ。そして自分は子供に勉強の話をするときどうしてもイライラしたり、詰問的になってしまうと思ったら、絶対に勉強のことに触れない方がいい。

 

 もし勉強のことに触れないことの弊害として、あまり子供の性に合わない言語を学ばせていることに気づかないで学び続けさせたとしても、学んでいるからには少しずつ積み重なって理解できるようになるのであり、そういう状態に怯えさせないで置いておくだけで、暴言を吐きかけたり叩いたり追い出すぞと言ったり、ママもう泣いちゃうとかいうよりも百倍は良い効果がある。子育てに向いてないならお金をかけて放って置いてくれればいい。ママ泣いちゃうとか、ママ胃潰瘍になるとか、ママもうお仕事疲れちゃった動悸がするのとか、そういうのは一切やめてくれ。ママは休日は友達と登山に行くなりなんなりして、未来にわたって健康な身体を維持し、子供に迷惑かけない様子を演出してくれ。少子高齢化社会において子供にはそれがとても助けになる。

 

 さらには、「ママは子供のことを思っているから、やりたいことがあるなら言ったらいいのに」と言いながら、「金がない」と言いながら、高い服を買ってくれたり、「ママはボーナスの日に子供にケーキを買ってくるのが一番うれしい」などというのをやめてくれ。子供がやりたいことを伝えてこないと思ったら、それは子供はもう親にやりたいことを言いたくなくなっているのだから、本当に出してやる金があるなら、金をあげてくれ。餌で喜ぶ猫じゃないので、何回も「美味しい?」と聞いて「笑顔で可愛いねえ」というのをやめてくれ。本当は子供だってケーキなんかいらないのだ。金が欲しい。お金があればなんでもできる。

 

 子供にはそれぞれ種類がある。多分それを見分ける力は親にはない。そういう力を持っている親もいるが、なかなかいないし、偶然かもしれない。とにかく、ママはあなたたちのために働いてるのとか言わないで。ママはママのために働いて、ママがもしも私のために少しでも生きてるなら、そのことは言葉じゃなくてお金を渡して、「好きに使いなさい」ということで示してくれ。

 

 出かけるときついてくるな。出かける先を紙に書いておいておけとかいうな。世界のどこにも逃げ場がない。こうなったらもう知られない場所でセックスするくらいしか自由なんてないから。やりたいことがあったなら言えばいいのにというが、言えるわけがない。私がやりたいことは、私だけのもので、私が触れたものをママが取り上げて「あー、こういうのやりたいんだね、可愛いね。将来のためになるよ。」と言ってベタベタ触ったら、もうそんな物二度と触れたくはないんだよ。ママは本当アホだからさ、寂しい時だけそうやって、そうやって動悸がしたり、お仕事で疲れちゃったりお酒飲みすぎちゃったりするんだろう。ママは本当アホだからさあ。

 

 とか直接言いたい人生だった。でも直接言っても、「なんだ思ってたなら言ったらよかったのに?まだ反抗期なの?可愛いね」っていうんだよね。もうねえいつもママが色々言ってくるじゃん。私はいつも抜け出せないと思うんだよね。ママはそうやってさ、いろんな技を持ってるじゃん。「やりたいなら言えばいい」というのはママが言ってもなんの意味もない言葉なのだ。ママに一番やりたいことを伝えたいなんて思うわけないんだからね。いっそ触れられるくらいなら秘密にしておいて、定年退職後に自分の楽しみとしてやればいいとか小学生で思ってたからね私は。