いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

いろんな国の人がいるから

 京都のドミトリー(毎日際安宿を求めて宿を変えている)にチェックインしたら、「いろんな国の人がいますから、貴重品にくれぐれも気をつけてくださいね。」と言われた。「たくさん人がいますから」というならわかるが、国際色豊かなドミトリーで、「いろんな国の人がいますから」というのはどうなんだろうか。サービス業は言葉に気をつけなきゃ行かんなと思った。

 

 ファミマで冷凍うどんを買ってドミトリーで茹でて食べた。ファミマの冷凍うどんは美味しい。コシがある。スタバに入ってカフェモカを飲んだが、記憶しているより高くて美味しくなかった。事故にあった人の心配をしすぎて変なのかもしれない。喫茶店で「迷惑ということを分からないの?」「迷惑とかいうことに構っているわけに行かない」と重い話をしている男女が居る。喫茶店にはみんなほっとしたくてくるのに、ちょっと他人のことも考えてほしい。最悪や。喫茶店で人を不愉快にさせるような語彙を使って会話することだけは金をもらっても拒否する。

 

 ドミトリーに戻る時も、私という存在が夜眠るだけで一泊1400円もかかるなんて、心底邪魔だな、と思った。恋人と一緒に居るときは身体があって本当に良かったなと思うのだが(ちなみに決して卑猥な意味ではない)。

 

 ロッテリアに入ったら、教育系NGOを作っている学生同士が話していた。もうサラリーマンみたいに話し合っていた。何かを立ち上げるっていいなと思った。スマフォアプリを作ろうと思うのだが、うまく行かない、みたいなことを悩んでいた。公務員試験について最後の方で話していた。こんなにやる気のある人が公務員になるのか、と思った。私の中で公務員はやる気のない代表格になっているのだな。移動する時はてな京都オフィスを遠目に見た。バス代は極力使わないことにして、歩いている。レンタサイクルとかってリスクの高いものも借りる気にはならない。途中で壊れたら弁償かと思うとひやひやする。

 

 そもそも京都へはもうなんども来たから観光するところもない。それでも下鴨神社へいったら、なぜかお守りがとても高い。知り合いがHSK6級に受かったといっていた。私は何をしているんだろう。さっさとHSK6級くらい受からなければ。

 

 HSK6級に受かっても中国で何かできるわけではない。そんなものばかり増えてくる。なぜだろう。そういうブカブカの衣服みたいなものばかり増えている。HSK、大卒、バイト歴、ブカブカでなんの役にも立たない。金が稼げるわけでもなく。まるで鎧をまとった精神衰弱。海に行きたいと思ってるのに、なぜか山に登ってしまうようなの。京都なんかなんもすることないな。暮らす場所だ。家賃も安め。せめてプログラミングは続けたい。楽しいし。今のところ目標はiOSAndroidのスマフォアプリを作れるようになることだ。

 

 何人もの人が世界を後にした後で、生きている者にだけ与えられた新しい日を生きている。 

 

 追伸: 家が寒すぎるので暖房器具を買いたい。

 ・火事になる心配をしたくない

 ・一酸化炭素中毒で家族より先に死んでたまるか

 ・体質上肌や喉が乾きすぎると困る

 ・四畳半の部屋一つ温まれば良い

 以上の条件を満たす暖房器具とは一体なんであろうか?