いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

スマートであること

  欲しいものを手に入れる

  素早く行動する

  行きたい時に行きたい場所に行く

  お金を払って他人にやってもらう

 

  スマートだなぁ、いいな、と他人に思わせることのできる、そして自分自身スマートだと酔うことのできる、生活スタイル。わたしが極端にお金がなくて苦しんでた時、それは全て手に入らないものだった。

 

 すきな弁当を買うことができなかった。みんながスマートフォンでマップを調べている間、スマートフォンなしのわたしは立ち尽くしていた。ごめんね、ありがとう、っていつも言っていた。Suicaにはいつも少額ずつ入金して、バスに乗れば疲れない距離もいつも頑張って歩いていた。生活圏は極端に狭かった。体力がなかった。自分でやると極端に時間のかかることを、他人にお金で頼むなんて考えたこともなく、毎日仕事や家事をこなすだけで疲れこけて、態度が悪かった。全てにおいて、他人に負い目があって、暗い気持ちだった。羨ましかった。悔しかった。辛かった。疲れていた。

 

  そうやって全てが、うまくいかない方向に、人に好かれない方向に走って転がって行った。世界がわからなかった。何も見えなかったし、いつも疲れていた。いつも頭が重かった。月末は財布に10円玉しかなかった。

 

  今じぶんは、少しだけれど定期的にお金が入るようになり、たりなければ多めに日払いのバイトをして、すきなものを手に入れることができるようになった。任された仕事を放り出したり、どーでもいいやと打ち捨てておいて、自分の心地よさのためになりそうなことをできるようになった。なんのためにもならないけど、すきだと言う理由で本を読んでいることもできるようになった。

 

  スマートフォンも良い性能のものを手に入れた。もうみんなにごめんね、ありがとう、と言わなくても一緒に道を調べられる。近くの美味しい店を食べログで調べられる。スマートだ。

 

  モタモタしてるなどと言わせないぞ。

 

  行きたい場所に行きたい時に行ってしまう。北京に行きたいと思って北京に行く。ざまあみやがれ。

 

  お母さんのワイシャツのアイロンがけ、クリーニング屋さんに頼む。家具の搬送、郵便局に頼む。

 

 これで全てがいい。スマートだ。

 

  お金をつかっている。

  楽をしている。

  バカにされたりしていない。

 

  法律もまなんで、騙されにくくなった。

 

  スマートだ。そう言っていいだろう。

  しかしわたしは今でも、自分がどうしようもなくのろまとしか思えない。のろまなんだ僕は。どんどんのろまになっていると思ってもいいほどだ。

 

 

  どんな装備を手に入れたとしても、のろまだし、何もうまくできはしない。本質的な部分で、自分を良い出来だと思えない。

 

 

  最近は思っている。これ以上スマートなことをしてもなんの意味もないと。スマートにするのはこの程度で打ち止めだし、もうお金を稼いでスマートさを更新し続ける必要はない。

 

  彼氏とお茶を飲みに行き、どうなるかわからない未来だが、コツコツ鈍臭い語学の勉強でもしようと。正直にいうべきだろうか。スマートになって行く自分に違和感があると。スマートになって行くことに、今度は疲れているんだと。いまはもうこんなフィールドで他人と比べられたくなんてないってこと。