いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

経済困窮以外でどういうときに仕事辞めたくなるのかという話

  • 仕事時間外の飲み会とかがある
  • 給与に関して不透明なこと言われたとき
  • 男女の間で昇進とか昇給に差があるとき
  • 大勢の前で挨拶をしないといけない
  • 総括してくれる人が、その上の人とコミュニケーション取れていないのでやっても意味ない仕事をやってる気がする。
  • 仕事を急にローテンションされて、意味がわからないとき
  • 仕事を剥がして付け替えるのは上司の権利で、説明など必要ないと言う態度を取られるとき
  • テレワークができない
  • 勉強する時間がない
  • 勉強する時間がないくらい残業しないと金が十分稼げない
  • 労働組合が弱気すぎる

人に辞めたいと思わせないことは難しい。

良くなって欲しい

家族の調子が悪く心配している。ダイエットしようとすると皮膚の状態がとても悪くなってしまう。いくらお金稼いでも残業しても健康は買えないのだなと思う。子供がいなくてもいいし、住む場所もこんな良くなくていいし、とにかくふたりとも健康でありたい。

 

正直なところ自分が体調崩したらもう仕事辞めてしまうだろうと思う。それくらい健康でも毎日仕事するのが苦手だ。お金をもらえたら嬉しい。でもきついもんはきつい。

大丈夫なことはわかってる。比較的大丈夫であることは。

 

 

この本面白くて、皮膚の不調はこんな原因もありうるのかということがわかる。

 

 

SAPについて勉強している

 

仕事で使うようになったのだが、分からないとこを情シスの人に聞くのにSAPの用語を知らないとわからないとこが多く、こういう本で勉強している。

 

SAPの画面スクショが載っていてたすかる。

筋肉がなぜか痛い

なぜか緊張しているらしくて筋肉痛になっている。

来週イレギュラーなことが多いので、緊張しているのかもしれない。

最近は社会的な活動について、残業が多くてもいいのでとにかく毎日同じ時間働きたいと思うようになっている。

とにかくイベントとかそういうものが大変に感じる。

前から苦手だったのだが、苦手だと思って良いと思っていなかった。それに安住できる日常というものもなかった。今は安心できる日常というものはないことに慣れて、苦手だから将来的にはこんなことはやめようと思うようになった。

とにかくもっと試行錯誤をしたいと思う。それは人前でいかに上手くスピーチするかとか、いかに休日美味しい店を回るかとか、いかに上司を夜ご飯に連れて行く店で喜ばせるかとか、そんなことじゃなく。

やりたいのはいかに野菜をうまく育てるかとか、いかに自分の考えをうまくブログに書くかとか、いかに詩を書くかとか、住み方はどうするかとか、家族に対する自分の考えをどう表すかとか、いかにして本をよく読むかとかいうことなのだ。

仕事をいかにうまく片付けるかとか、どうしたら自分の仕事が他の人の不幸にならず幸せになるかとか、そういうことは考える気がある。むしろ考えるのは好きだ。しかし飲み会とかは本当に取り組みべき問題に取り組めないから変なことで盛り上がって、それでお互いの幸せを偽装しているように思う。酒なんてものは自分にはいらないな。

 

仕事だけならいいのだが、話がプライベートの内容に触れるシチュエーションが大変に感じるわ。私には人間性含めてこのような形以外で語りたいとか人に共有したいことが何一つない。共有したいことがないというか、ほぼ一方通行の発信以外の方法で自分について話すことができない。コメントや疑問に対して会話のスピードで対応することができない。

ニュートンを読む

ニュートンという雑誌を読んでるのだが、定期的に同じような連載していて、なんだか飽きたわと思う。そんなに長い間人間が同じことに興味を持って同じような内容を読むことはないのではないか。

コロナのことばかり書いているのだとすれば時制上ありがたいと思うけど、睡眠とか虐待のことはもう同じような内容だし、最新の情報がなければ違うテーマをやってほしいなー。