いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

2022年度ふるさと納税完了

ふるさと納税のことを考えると大変なので1/1にふるさと納税を済ませた。多分昨年と同じくらいお金を稼ぐことになるかなと思う。

あとは2月に昨年分の確定申告をする。

6月までは簿記1級の勉強をすべての自由時間突っ込んでやる。合格する。

vbaとPowerAutmateの勉強をして、時間を作れるように仕事を効率化する。

6月にcpa会計学院に入学する。(その前に説明会に行って相談すること)。

 

 

よく考えたら、もし子供ができて育休産休をとしたら年収が下がるからふるさと納税時過ぎになってしまうかも知れない。

ということに納税してから気づくくらいに子供をもし生むとどうなるのかがわかっていない。

転職して2年が過ぎた

食品メーカーから飲食業へ転職した。今まで自分たちが工場や事務所で協力して材料を発注して、作り、納品してきたものが、今の会社ではFOOD COST(食材費)と言われている。

 

取引先や仲間や同僚でなく、全員が駆け引き相手として接し合っている職場の雰囲気に違和感がすごかった。

 

それでもここで学べたことは多く、環境の変化なしには決してわからないことがわかった。大きな会社に転職しても、住む場所が変わってもそれだけで人生が進むことはないということを理解した。

 

基本的な網羅的知識をつけずに歳を重ねると不十分で感情に生きる人間になってしまうこともわかった。

 

自分は自分の夢を見て、たとえそれが途中で何かによって断ち切られるにしても、精神の上ではいつも自分の仕事をいかなる動作にも反映して、希望とともに生きていきたい。

 

一日一日を大切に、という言葉の意味が28歳になってやっとわかった。私は子供の頃直ぐに自殺すると思っていて、また物事に執着しないようにそう思おうとしたので、長い目で見ることができなかった。今も周囲の人に比べるとそうなのだが(2年くらいで完成することしか想像できない)、それでもかなりその期間は長くなったと言える。

 

一日一日を大切にという言葉は、長い目で物事を見ることができるようになってはじめて、理解できると思う。この一日が次の私を作っていくというきもちは、毎日を地面になげうっているうちは決してわからないように思う。

物価が上がっているらしい

食費日用品費の管理を旦那に任せているので気づかなかったけど物価が上がっているらしい。生活費が全然余らないとのこと。給料は上がらないのにどうしたらいいのか…

 

物価が上昇していくとなるともう株とか買って物価に対応していくしかない。株とか買ったことないのだが……。

 

困ったものです。

このまま子供を作ったらお金がなくなってしまう。産休育休中の手当を調べたら、出産時の支給も含めて1年間に170万くらいしか貰えないことがわかった。出産そのものに50万くらいかかるらしい。これでは貯金のない人は暮らしていくことができないし、頑張って貯金してきた人も貯金が減ってしまう。

 

どうして子供は女が一人で産むものなのに、女が一人で自分を養えるようにできていないのか。

 

びっくりして旦那に働くよういきなりに頼んだけど旦那は体調が悪いから働けないのに無理言ったので、具合が悪くなってしまった。やっと治ってきているところであったのに。何という未熟な人間であることか私は!

 

自分は子供を作るとしたら結婚しているからひとり親ではないが経済的にはひとり親だとなると、特になんの追加援助も受けられないわけだけど、こんな人世の中にたくさんいるだろう。

 

このように新しいことをしようとすると苦痛があるものである。こんなにジタバタしている親のもとで子供がなにか安心を感じられるかわからない。

 

あとなんか子供を作ろうみたいに思っている(結婚生活に次の目標みたいなものを設けようとしている)のが違和感があって、自分的には結婚生活がゴールなので、もうこれで良いのではないかと思っている。

 

でもこれは明らかに「お金がないから子供を作れない」という事態であって、そうだったのだという敗北の事実はずっと心に残り続けるだろう。でも正直これ以上に生活がうるさくなると病気になるのではないかと思っている。

 

だいたい後悔しないように子供を作ろうというとき、それは私の満足のためで、そういうことのために生まれてくる存在はどうなんだ。そういうことのために生まれて来ない存在はどうなのか。

子供ができたらそれはなんか違うような気がする

子供ができたら子供のために働かなければと思うようになると予想できるけど、それは自分にとって幸せじゃないと思う。ただ二人の人間が好きで一緒にいるようになってその生活を好きだから維持するために働くというのはわかる。でもそれによって子供作るとか、子供できたから一生懸命働くとか仕事やめられないとかもっと給料を上げるよう努力するというのは嫌な気がする。どうせ死ぬのに、他の人が持っているものを自分も得たいと言うような感覚で子供を作ったり、他の人から子供はどうするのだろうと思われないようなために子供を作ったり、いないとそのうち後悔するだろうという理由で産もうとしたりするのはおかしい気がする。自分は好きな夫でさえ静かにしてほしいと思うことがあるほど過敏なのに、子供をちゃんと育てられる気がしない。親がしたように叩いたりしてしまいそうだし、施設に預けようと思ってしまいそうだ。そもそも家に帰りたくなくなり、家という存在と旦那さえも一体化してしまい、家に近づきたくなくなりそう。私は家族がほしいのではなくて旦那と毎日話しがしたかったんだと思う。

 

これを読んだら嫌な気持ちになるかもしれないけど、直球なことを書けば、女である私にそういう行為をして私が子供を産んで、それの面倒を見て育てていくというのはなんか気持ち悪いと思う。生まれた子供は野に放つと言うならそのほうが自然な気がする。単なる行為の末に生まれたものを、そういう成り行き的なものにも関わらず責任を持ったり、他人の子供と同じように振る舞わせたりすることが普通にきつい。

人間の振れ幅なんていかに自由に振る舞ったところでたかが知れていて、自分の子供ももし生まれればその線のあたりをそう外れずに行きていき、死ぬのだろう。

自分の人生をなければよかったと思うわけではない。ただまた新しい命を残してこの人生を終えて、自分のあとに自分の子孫が残されることを思うと死にたいくらい嫌になる。自分の体が老いて、子供の不在をいつも抱えて死んでいきたいようにも思う。

私は自分のために誰かが苦痛を我慢して生きているということにうんざりしている。子供の時からいろんなことを自分のせいにされて、お前のために頑張ってる我慢していると言われてきた。私は、本当にうんざりしている。誰かに苦労されるくらいなら自分が苦労したいくらいだ。けど誰かにそれを悟られたくない。

 

自分の子供が生まれるとなれば、その存在のためにいつかは、無理をするときが来る。そのときに自分は子供を自分の苦痛の慰みにしないのか。子供を作るなら余剰資産を積立投資に回すように、切られても痛くない尻尾を預けるようでないとだめだと思う。私は社会的・経済的・体力的にその域に達していない

 

今日旦那と写真を取られたら私は頑張って強そうに振る舞っているように写っていた。私にはわかった。これは不可能と不自然を写しているということ。そんな幸せそうに見える幸せのために体や精神を使ってはいけないということを悟った。

 

親と同じ道を行こうとしていた自分に気づいた。新しい目標をいつも設けるのではなく、本当に必要なお互いだけを大切にすればよいということを思っていて、もしいつも目標が必要なのであればそれはもう私が求めた関係ではないと思う。年老いたとき何も持っていなくて、侘びしいと思ってもいい。侘しくても梅も桜も咲くだろうし、自分の子孫がこの先誰もいなくなっても梅も桜も咲き、風が吹き雪が振り、何者かの命は続いていき、誰かはみかんを食べ、誰かはゴミを捨てて朝が来て夜が来る。そういう世界において私は自分の子孫を残さないことを無意味に惜しみたくはない。

 

子供ができたらどんな名前をつけたいかと考えたとき「千代火」という名前にして、ずっと続く火のように大切に守りたい。消えてしまわないようにこれは火なんだと自分で忘れないようにそんな名前にしたいと思った。思ったとき、これは大きな自己犠牲がきっと伴うことだろうと思った。そういう存在としてしか子供をとらえられない自分にも気づいた。自己犠牲の苦痛の中で旦那を見失い、話をすることもなくなって、いつの間にか旦那が死んでしまうようなことになれば、全く無意味で正反対なことのために人生を費やしたと言わざるを得ない。

 

例えば旦那が将来痴呆症になって私のことを何もわからなくなり、私のことを知る人もいなくなったとしても、一人で介護をすることになって電話をする相手もいないとしても、そういう環境が人から見れば不幸であるとしても、私の人生の成就として、最高のものではないか。

 

私のことを誰も知る人がいなくなったとしても、春は来て草はゆらぎ川は流れ鯉は泳ぐのだから。

 

とはいえ正直子供というのは作ることを考えても死にたくなるし作らないことを考えてもなんか微妙な感じになるトピックだ。大きな視点に立って考えれば、これは「私は人生において必要なものだけを得ようとするのか、それとも必要でなくても時期がくれば得ようとするのか」という大きな命題にも結びついているのだ。

昨日は力尽きた さて今日は

昨日は力尽きた。そもそもchapter7をやったとき極度に睡眠不足で何もわからなかった。

やっと金曜日になったので、よく寝て猛勉強してやる!!

眠くて難しくてスケジュールどおり進められないと、つい苦しくなってスケジュールがのびのびになってしまうが、本当は倍速にして巻き返さないと行けないところなのにこれは心の働きのせいだ。

注意してこのような心の働きが身体に反映されないようにしないといけない。

また今週は毎日出勤したので疲れていてそれも良くなかった。

今日はchapter7商品の期中処理をやって、そのあとchapter8収益認識をやる。

 

いざ帰宅をするぞ!

 

よし帰宅したので

よし帰宅してシャワーしてご飯食べたのでお茶を飲みながら商業簿記chapter7有形固定資産をやるぞ。

 

今日は問題集をやろうと思ったのに、やる時間がなかった。

締切を知らされていなかった資料が急遽明日までと言われて作ったので、残業になってしまった。

これ以降は自分に課せられそうなことは課せられる前に行い、余裕を持って日々を過ごすようにしたい。

 

何事も早めにやって悪いことはないなあということを最近思っている。神田沙也加さんは松田聖子さんの子供とは知らなかった。なくなってしまい惜しい気持ち。

 

死ぬ気なら何でもできるということをよく言う人がいるが、そうではないと思う。死ぬ気のときは色々な心配事があって疲れ果てていることが通常なのではないかと大人になるとわかってくる。