いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ブログを書くという習慣

ブログを書くという習慣は、私には素晴らしい。毎日50アクセスくらいアクセスしてもらっている。多分一人の人は1回しか見ないのが一般的だと思うので、50人くらいの人が見てくれているのだろう。普通に生きていて、50人もの人に毎日自分が考えていることを聞いてもらえるだろうか。とても心強い。

 

最近帰宅すると座ったとたんに寝ようと思ってしまうので、立ったままブログを書いたり本を読んだりできるプライベートな感じの空間がないものかなと思って、今日それを作った。

 

押入れの上の部分に突っ込んである荷物を並べなおし、本とパソコンを広げられるスペースを作った。登山用の厚手の靴下をはけば、寒い日でも大丈夫だ。あとは照明の問題があるが、これはそのうち何かいいのを思いつくだろう。奥行きがあって素晴らしい。基本的に集中力がないのだが、これなら足踏みしながら、体を左右に揺らしながらブログを書くことができる。

 

オープンな聞き方というのが最近とても大切だと思っていて、それは助けを求めている人のためになる。例えば、その人は何か困っていないかを聞くときに「大丈夫ですか?」「順調ですか?」と聞くよりも「何か困っていることはありますか」と聞くと、何が困っているか考えたこともなくただ困っているような人でも、困っていることを考え出して相談してくれることで、お互いに前進できる。人の悩みに触れることで私も自分の悩みに気づくことができる。

 

ただ自分に対して常にオープンクエスチョンを繰り返していると、人生は不思議な方向にぼやけて行ってしまうというのが最近の悩みで、朝になって「今日は仕事に行かなければいけないですか?」と自分に問いかければ「いかなければいけない」としか言えないのであって、「今日は何をしたい気分ですか?」と聞けば「海に行きたい!」とかなって、結局仕事にいかなければならないので、不完全燃焼な気持ちになる。

 

図書館へ今日の昼間に行ってきて、こんな本を立ち読みでペラペラ読んでいた。

 

星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書

星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書

 

 

この本には、社長が会社を売ろうとしたときに、「売るなら私に下さい。私にはお金がありませんが、本気でこの会社をやっていきたいと思っている」みたいなことを発言する人物が出てくる。

 

そんなに思えるくらいの会社で働けたらと思う。

自分の経歴を充実させるためでなく、本当にやりたい事業のために働いてくれる人が会社を持っていたら、同窓会で自分の社名を自慢するためではなく、本当に事業を愛してくれる社長が会社を経営してくれたなら、いいのに。

 

 

山と写真 (ブルーガイド)

山と写真 (ブルーガイド)

 

 

旦那と山に行って写真を撮りたくなった本。最近もっと文章を書きたくて、すきあれば書きたいという気持ちがある。ポメラを買って書きまくりたいけれど、価格が高い。本当は書くだけではなくて、もっとインプットもしたい。でも睡眠時間が足りないとおかしくなるので、私にとっては本当に仕事が邪魔なのだが、でも仕事こそが、今苦しんでおけば後々もっといろんな可能性を与えてくれることだ。それこそ自分が好きな会社をもっと元気にするような仕事だって、将来はできるようになるかもしれない。すべては今なんとか続けていくことだ。

 

 ここのところ店の売り上げを伸ばしたいというような話ばかり聞いているのだが、確かにお客さんがそれを見て買う気になる商品やサービスというものは存在するのだと思う。けれどそういう要素ばかりを組み合わせて作った商売を消費させることが世の中のためになるのかなあ。もっと心理的な充実を支えるような商売はないのかなあ。このために人生を仕えて幸せだなあとか時間を費やせて幸せだなあとか思わせるようなものを求めているのは私なんだなあ。そうしてそういう充実した存在として愛する旦那の前に存在したいんだな私は。

 

世界の果てでダンス

世界の果てでダンス

 

道徳的選択の基本的な意味は生存を大事にする選択。生命に利益となるような選択であると思われます。