いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

祖父と父の葬式

祖父と父の葬式を思い出して、父の葬式は粗末で申し訳なかったと思った。

 

祖父に比べれば、自分はうち捨てるように父を送ってしまった。

 

仕事帰りにこんなことばかり考えているから、感傷的なままなのだ。

 

常に上の空だから、生きている人間の時間をうち捨てるように送ってしまうのだ。

 

早く帰ったら旦那が安心していた。結局人間関係はともに過ごす時間の長さでしか育まれない部分が多いと思う。

 

誰も彼もと育むことはできない。選ぶことが必要なのだ。

 

それにしても火葬を伸ばして冷蔵庫に入れとくのは馴染めない。