いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

今日は長い記事を書こうと思う

今日は長い記事を書こうと思う。頭の中が書かなかった間のカスみたいな散り散りな思考でいっぱいだ。ヘッドホンをつけてglenn guldのピアノを聞く。この曲は子供の時おかしいくらい繰り返し聞いた。

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子供の時は1時間以上あると思っていたのに、今はたった50分程度しかないのかと思ったらなんか違う曲のように聞こえる。クラシックに詳しかったというのではなくて、この曲だけ繰り返し聞いていたように思う。

クラシックでもほかの曲は変に情緒的でイライラしてしまったりして最後まで聞けない。これはちょうどいい。

 

最近座り仕事が多くてちょっと鬱々としてしまっている。これからずっと座りっぱなしで仕事するのかと思うと、ちょっと無理だなとすぐにこたえたい。自分の場合はよくわからなくて、ちょっと無理だなと思っても何とか続く場合もあるし、本当に無理な場合もある。何とかなる場合でも、ほとぼりが冷めたころに変な使命感に駆られて逃げてしまう。逃げるか進むかというようなのもあいまいな話で、大人にもなるとどっちが逃げでどっちが進みなのか、そんなことも脳内でちゃんと考えて、都合の良いほうに寄せることができる。だから自分がいいことをしているのか悪いことをしているのかもよくわからない。

 

聖書に書いていることの通りに生きるとか、家の人に認められるように生きるとかの方針を持っている人もいるのだろうが、それにしても聖書の言葉だって言葉であるからにはいかようにも解釈できる。家族も人間だからそもそも気分によって自分の行動を解釈する基準も変わるだろうし。私なんかは聖書や家族に認められることなんてないということまで思ってしまう。

 

こういう人間は東京では上層から追いやられていくようにできている。会社のためにはたらき、その評価を自分の給料に反映してもらっていると思い、うれしがるような人間が好まれる。私といえば、子供のころ上からの評価を追いかけていたせいで殺伐とした時代を送ったことにより、トラウマ化していて、できるだけ評価されても「そんなことはどうでもいい」と考えるようになっている。評価されることがそもそも煩わしいし、評価の対象とならないように逃げまわってしまう。毎日通うことも苦手で資格予備校に高いお金を払ったのに行かなくなってしまった。これは一つの学びで、自分の力で学べることは学べばいいし、通いの学習に頼らなければいけないようなモチベーションならそもそもやらないほうがましでほかのことをやるべきだということが分かった。

そして通いでできないことも自分一人ならできる場合もある。過敏症だから、そもそも家の外にあまり出るべきではない。東京に来ると環境が過酷だから、よく自分の性質が分かる。

 

私はやりたいことが多いのだが、それは誰かに評価されたいとかそういう考えとは無縁で痛い代わりに、自分が何をしたいかということを常に考えているからだと思う。そして経験は思考を生むから、いろんなことを経験することが大切だと思っている。ただしすこぶる気まぐれだから人を巻き込んで経験することはあまりよくない。

 

他人と付き合っていると、他人の灰汁のようなものに触れてしまって、灰汁がつよいなと思って、そんなにいつも話したり会いたくはないと思ってしまう。私は景色を眺めていたいな。移動をいつも繰り返していたい。定住はできないなと思う。それならばそれなりの手に職というやつをつけなくてはと思っている。なんとかしたい。自転車を買いたいと思っているけど、いいやつを手に入れたら会社なんか行かなくなってしまう。まったく会社の人と価値観が違うし、灰汁の強い人ばかりだから会いたくはない。何も言わずに生きていればいいのに。自分の人生の正しさを人にぶつけて、感触が悪いと人を嫌いになったりするマネはやめてほしい。私は旦那以外の人間なら最初から嫌いだから、別にその人が何と思っていようが関係ない。自分の人生についても話さないし。

 

なんでも考えていることはブログで書いているからいい。

私の人生は失敗のようなところが多くて、それは一つのところに長くいられないということに根差している気がするのだが、でも人が嫌いなのだから仕方ない。それならば人と会わないでうまく生きていく方法を考えなければいけないと思う。

 

自分の仕事自体、働けば働くほど無駄を生み出している気がしていやだ。人の一人一人は嫌いだが、人のためになる仕事でないと、人里で働く意味はないと思っている。人全体の幸せは願っている。人が幸せになれば灰汁が減るから、私も生きやすい。

 

今の仕事は、人が求めていることを知っているのに、そのちょっと横の違うものを与えて、人の心に「追いつけない」「手に入らない」という気持ちを毎日毎日植え付けるような仕事だ。それをやっている仕事人たちも、焦燥感に駆られているに決まっていて、わたしは毎日嫌な感じになっている。

 

まだ入社したばかりだから仕事はできないけど、仕事ができても結局そういう商売だから、なにをやったらいいのかわからない。

 

たぶん自分は本当は、認められたいし、褒められたいし、感謝されたい。けど誰も求めていないものを社会に生み出し続けているから嫌になってしまう。もっと需要に対してすぐに商品を差し出すような営業とかの仕事のほうが向いているのかもしれない。

 

例えば不動産賃貸営業とか。部屋についてよく知っておけば、求めているそのものの家を提案できるかもしれない。方向音痴だからちょっとよくない。

 

とにかく、変な褒められ方をするのも嫌だ。

 

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富士日記(下)-新版 (中公文庫)

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 うれしいとも苦しいとも思わないで、大切なものを大切だと思って、守り抜きながら、強くなりながら生きたい。

 

 私は本当にやるべき仕事をやらないことで、人の命を遠回しにもてあそんでいるのではないか。金なんかもうかってもつまらない。でもご飯はおいしい。世の中の抜け出せない穴で、でも普通にあるとき気が向けば、道を変えられる。その先には山があり、貧しさがある。下のブログ、読んでいて気持ちが落ち着いた。

 

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by ギノ