いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

葬式

人生2回目の葬式手配を行なっている。忌引き休暇は連続3日間。仕事が終わらない。故人の日記はめちゃくちゃ面白い。私もこんな日記をかけたら。この人はなんでも記録していて、質問には全てこのメモを見ればまるで本人のように答えることができる。

 

朝と夜に分けて日記の前半と後半を書いていたことがわかる。なぜなら事故の日には前半しか書いていない。年末につき式場の周りで良い店を見つけられそうもないので、葬儀は寿司をつけることにする。ざっと百万円。

 

転職したばかりだから忌引きとるの嫌だなと思ったけど、ここで忌引くれなかったらやめようと思ったので試金石として取得申し出る。止めるときは次を決めてからだが。忌引き休暇を取りたいというと、忌引き休暇は三日間だが何日とるかは自分で決めろという。三日間休めと言え。自分が上司になったら気をつけたい。

 

故人の日記は目標設定と進捗を確実に記録していた。素晴らしい人間だ。脳みその隅っこまでうまく設計されている。しかしその娘である母は明らかに物事を記録することや計画的に行うことができないので、どこか壊れている。私はその中間くらい。母寄り。

 

お焚き上げに行くのもクリスマスケーキを食べるのもよす。1日帰れず実家に泊まり、昼頃15分ほど帰宅して旦那に会う。はぐしてほっとする。クリスマスケーキを食べたという。一緒に食べたかった。故人は死ぬときは苦しくなかったかなあ。どうせ死に目には間に合わなかったのだが、タクシーを捕まえようとしても捕まえ方がわからず。なかなかつかまらないのだが、そんな時にも落ち着き払って失敗だなと思っている自分は、相変わらず自分だ。自分の親族はみんな死ぬときこんなふうに死ぬ。地下鉄に乗っているとき病院から連絡うけたが、とっさに電車を降りてタクシーを拾おうというふうに発想が達しなかった。車社会であればすぐにハンドルを切って病院へ向かっただろう。

 

もう呼吸が止まっていたが温かかった。人は生きているから温かいのではない。温かいから生きているのではない。

 

故人のような丈夫な人も死ぬとなると、世の中バスに乗るだけで周りに座っている人もすぐに死ぬようになると思われる人ばかりである。ちょっとそこの段差につまずいてころび、打ち所が悪くて1週間後に死ぬなどザラにありそうである。このようなことがあると人間どうしても1人で行動することは危険すぎる。人間お一人様時代的な風潮があり、私も1人であるのが好きだが、1人でいるということは、純粋に申し上げて、自分の身体とか性質についてよく知る人が周りにいないということであり、それはとても危険なことである。

 

そしてみなさんは出かけるとき必ず身分証明書、緊急連絡先、そして遺書とか持ち歩いてください。