いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

表現者の勤務

都会の会社で働き始めて思ったことは、各人のスキルがひどく曖昧だということ。この人は何ができる、ではなくて、この人はこのような性格でこのような資格を持っているので上司にとって便利で評価されてボーナスを多くもらう。というような感じ。それを思うと田舎の会社で長く勤めて、「この人はこれができる」というような人になったほうが精神に健全だと思う。当然田舎の会社で「これができる」になっても独立とかできないが、必ずしも仕事でやっていることで独立する必要なんかないわけであって、それに仕事を指定時間自分が表現者たりうると言うことがどんなに大きいことか。

 

それであってこそ仕事を通して自分は表現者になるだろう。