いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

死ぬこと

生きている時にはひたすら自発的であることを求められる。死ぬ時になっても教育された私たちは死ぬ人に「頑張れ」「力を出せ」という。

わたしには何も死ぬ人に言うことがない。ありがとうとか本気で言えるのは旦那相手だけ。

 

この相手にだけは全てを尽くしていく。

毎日だるいことばかりだし、生きてから死ぬまでだるいことばかりだ。けど自分で大切にしたい幸せもあって、でもいつもだるくて、ストイックになり切れないけどきっと頑張れるよな。会社の偉い人はうつ病になって休職。私はものを減らしていつも身軽にしておかねば。最近服を全然着ないので捨てたいし、もしお金が入れば自炊グッズを買って本を電子書籍化したいけど、たぶん電子書籍化したら二度と読まない。

 

会社の人たまにストイックだからいいなあと思う人とかいるけど、金もうけをしたいという気持ちが強すぎてなじめない。自分はもっと何かまともな穏やかなものが・・・。ただし金儲けしなければいけないのにその程度にも稼ごうとしないのもむりだが・・・。子供のころ、誰かが得をすれば必ず誰かが損をするという思想の持ち主だったので、みんなが幸せになる仕事なんかないと思っていた。そのあと殺されそうな人を助けるとか、人権を踏みにじられている人の人権を守るとかいうことなら商売としてもいいものだと思った。そのあとはメーカーに就職して、自分が作っている食品は人のため社会のためになっていないのではないかと、むしろ、人に悪いことはしていないけれど、そのせいで貧乏くじを引かされているし、明日なくなっても大して話題にもならない製品のために人が死んだり怪我をしたりするなんておかしい。仕事は命を懸けてするものじゃないと思った。結局この不幸はマッチポンプだ。人を幸せにするでもない、社会をよくするでもない商品を作り続け、薄利で、設備投資できず、人が死ぬ。それから外食産業に転職して、なるほどこれはうまい商売だと思っているし、こんなうまい商売に食品を下ろしていたから、なるほど自分たちは貧乏くじを引かされていた。こんなにうまい商売相手がいるから商社もメーカーなんか虐げていた。外食産業というのは自分の利益を取ろうとすればするほど末端消費者が食べるものは大したことないものになると思うし、その分原価がすこししかないマージンまみれのものを食べることになるんだと思った。

 

食べに来る人にできる限りおいしいものを食べさせてあげたい。どうにかできないのか。そう思ってやる商売とはわけが違う。というかそういう末端のスタッフもいるんだろうが、利益を上げるよう迫られたり、自由じゃないだろう。でも誰でも一度は自分のやっている仕事が社会にどんな影響を与えているか、考えることがあるだろう。

http://miraishokudo.com/

未来食堂行こうかな。個々の人は原価率とか公開して商売をしていて、おもしろいと思う。私ももし店をやるならプロセスを全部見せたい。ここの原価率は決して高くない気がする。けどなんか面白いよな。なんか思想っぽいのもいい。コンセプトに共感すれば売上高を伸ばすだけじゃなく単価が高めでも満足度も高めな食事ができるんじゃないかなあ。

 

 

私は自分で加工したものを自分で人に売り、その商売のすべてをさらしても人が買ってくれるような、正々堂々たる商売がしたいよ。

 あと最近、自分は明らかに自宅でパフォーマンスが上がるタイプだとわかってきたので、自宅で勤務したい。

 

上司に病院に運ばれた人の具合は大丈夫かいと聞かれたので、もう駄目だから仕方ないと答えた。ありがとうございます。とも。

 

今週のお題「クリスマス」