いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

最近人生は短いということに気づいた

関東平野において意義のない労働をし、多分体を疲れさせている毎日だが、本当に意義がないと思う。このメーカーは製品を作っているのではない。伝統の上に成り立つ企業像を作っているのだ。

 

そんな日々の中で今年26歳になるタイミングで、ついに人生がとても短いということに気づいた。自分の親が死んでしまった年のちょうど半分だ。多分。最も自分の親が私の年齢の時には海外大学院留学も終え、一流中の一流企業にも就職を果たしていたのだが。その後の人生で色々を踏み外した。それはともかく不意に自分の人生が短いということが降って湧いたようにわかった。

 

こんなところで無為な時間を過ごしている場合ではない。いかなるザコい企業に転職しようとも、私生活だけは思い通りにせねば。生きている方の親を見ていると、なるほどこの人も死に向かってだんだん老いていくのだということがよくわかる。

 

保険の営業が話しかけてくる食堂で、自分はもう保険の営業と話したくないと思った。死ぬことはわかっている病むこともわかっている。ならば退職するのみだ。

 

今日旦那と話をして、旦那がどんな生活をしたいかという話を聞いた。そのことがとても嬉しかった。

 

以前にブログでも書いたように、私は自分の人生の指針というものを持てない。旦那となら持てると思う。

 

どうせ死ぬし、といつも思っている。全ては無為。けど旦那とならこの浮世を楽しめるよね。最高だよと思っている。私は東京で転職先を探すことにした。

 

人は誰も自分の人生をわかりやすいストーリーに四捨五入してしまうのかもしれない。漂白された雑誌の記事みたいな人生がそこここに広がる。そういったもつれにもつれた記事の自分を全てどうでもいいこととしてよく思い出せなくさせたのが本物の出会いだ。

 

最近ブログを毎日書いている自分と仕事のメールを毎日書いている自分を引き剝がしたくてたまらなくなった。仕事のメールの書き方が変だとか固すぎると言われると、すごく傷つく。仕方ないのだが、文章を書くということが自分にとってはとても大事で、直させられたり、変だと言われると、他のことをされるより嫌な感じになる。

 

最近ブログが他のブログに言及されることがなくなったのだが、確かに言及しにくい内容ばかりかもしれない。

 

勝手に人のブログに言及してみる。私はこのブログが好きでかなり読んでいる。

kato.hatenadiary.com