いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

二人でいると時間の流れが違う

一人でいる時と二人でいる時はまるで時間の流れが違う。二人でいると一人で考えなければいけないことが減る。それは家事を分担しているというのもあるし、めくるめく考えうる可能性の視野が限定されるということもあり、例えば休日二人で過ごしたいなら、二人で過ごせないチョイスのことは考えなくていい。二人で今から食べるイチゴに集中したいなら、仕事のことをくよくよ考えるのは、家に帰ってシャワーを浴びるまでにしたらいいし、あなたの寝息を聞きたいのなら、しっくりくる音楽を探してYouTube中を引っ掻き回す必要もないし、ブログを書いている途中にこの音楽は違うとか思って苛立たしげに曲を変えるためにデバイスを手に取る必要もない。ただ寝息を聞きながらパソコンを開いてこのブログを書けばいいのだ。二人でいると自分が悩まされているという感覚がなくなる。自分は真剣に考えているのだ、もしくは望んで考え事をしているのだと思える。このまま考える時間だけが続いて朝になってもいい。それは幸せなことなんだと感じる。

 

残業をして帰ると家に好きな人がいて迎えてくれる人生の素晴らしさを私のように理解する人がどこにいるだろうか。何もいらないと思う。みんなそんなことをもっと書いたらどうだい?

 

過去に話したどんな相手よりも、旦那とはよく話している。というか旦那と付き合う前には人とあまり話さなかった。読書によってインプットだけがあって、話そうとすると話し方がわからず言葉が崩壊してしまうような感じだった。少しずつ話せるようになり、人らしくなった。

 

二人で過ごしていると、ただただ美味しい毎日がすぎていく。甘い泉を飲み込むように日々が過ぎる。毎日同じものを食べてるとか、違うものを食べてるとか関係ない。全然そんなの問題ではなくて、この人が喜んで食べているかということがきになる。

 

二度と離れたくはないな。10連休最高ではないか。旦那も一緒にいていい気持ちだと良いのだが。

 

マルテの手記 (新潮文庫)

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