いのちばっかりさ

その金字塔/ 心で価値を生み出すこと 人生25年目/ NHK中国語講座で勉強している

家の掃除と趣味

伸びている服が好きで、油断していると伸びている服ばかり着て、どんどんびろびろになってしまう。びろびろになると流石に嫌な感じで体もうまく動かせないやとなるので、これを捨てる。今までは捨てることができなかったのだけど、もう捨てることにした。これもらったやつだからとか、自分では買えないやつだからとか関係なく捨てる。何気に中学生の頃のジャージを愛用していて、これはびろびろになっていない。ただ少し穴が空いてる。これは良いということにした。とりあえずびろびろのを捨てる。

 

メメントモリを思わせる絵を捨てた。額も捨てた。

捨てる服で床を拭いた。床拭きには向かない素材だった。難しい本を読んだ。やはり搾取されるだけの労働から逃れるためには、労働の中で自分のための何かを味わうことだと思う。自分のための何かを育てることだと思う。上司が取引先の営業さんのことを仕事ができないと酷評していたのだが、そもそも上司のメールが難解過ぎるという説もあり、返信が遅いのは仕方ないという説も提唱したい。この上司は「頭でっかち」という言葉をよく批判のワードとして使用しているのだが、「頭でっかち」は貴重なのである。メールすぐ返信してくれないのはただなめられてるからだと思うので、人のことを「頭でっかち」とか言ってる場合ではないのである。そんなことにうじうじ嫌な気持ちになるのは時間の無駄なのでやめておく。人の心の複雑性について思い巡らすことに興味はあるが、あまりに身近なしかも鬱屈した人に関してそれをやるとこっちの方が疲れる。最近は仕事ができる(仕事が早い)人ばかりいても仕方なくて、ゆっくりでもいいからお互いの意図を理解しあって仕事を進めて行く方がいいんじゃないかと感じている。仕事がスパンスパン進むこともいい事だけど、時間をかけて成し遂げた仕事の一つ一つに納得感とか愛着とかを感じることも長い目で見れば大切だし、自分が仕事遅いということを理解した上でやるべきこととやるに値しないことを見分けるのも一つ意味があることだと思った。

 

警備の仕事の中で独自のガムテープ文字を考えて自分のものにした佐藤さんなどは尊敬すべき人だなと思う。この人はやれと言われてやったわけではないのだが、やれと言われてやったわけではない&今までなかったソリューションというのが良い結果になったのだと思う。

 

rocketnews24.com

 

他の人だって真似できたと思うが、はっきり言ってこんな変なことをここまで安定のうまさでできるようになるまでやる人なんか他にいなかっただろう。

 

話は変わりますが最近興味を持っているのは托鉢という行為で、東京にいた時は人口密度も高いので一ヶ月に一回くらいは見ていたのだが、この地方に来てからはそもそも人が少ないにつき、托鉢という行為を見たことがない。また托鉢を見かけたときにも何かを差し上げたことはない。やったことがないので、いざやろうと思うと信心のない自分には、ガチャポンを回すようなワクワクした行為になってしまうと思って、なんとなくやりづらいのだ。托鉢については以下の方の記事など。無断リンクすみませぬ。問題がありましたら消します。

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この記事を読んでミャンマー人に聞いた話を思い出した。ミャンマーでは寺院に布施のようにしてお金や供物をあげることがあり、それをお坊さんが仏に供える儀式をしてから食べたりするんだそうだ。またお坊さんになる人がお坊さんになれるように、企業がスポンサーのように?お金を出して、その人がお坊さんになるのを支援することもあるというような話だった。企業であっても、仏教のお祭りの時にはそこにお坊さんが来て講和などをするんだそうだ。ミャンマーの寺院には若者が集まっていて、なぜかといえば寺院にはWi-Fiがあるからとかいう話も聞いて面白かった。またミャンマーの寺院には金箔を貼る石が置いてあるところがあるのだが、その石にその辺で売っている金箔を張れるのは男性だけで、女性は貼る事ができない。こんな国ではあるが、キリスト教徒とかもいて、その人たちはどういう機会があって仏教国でキリスト教徒となったのか気になった。面白い国である。いつか働いてみたいな。

 

そんな風に暮らしている人の話を聞いたりするのが好きである。私が行きすぎた人類愛を表出してすぐに泣きそうになったりしてしまうのも、いろんな人がいろんな風に行きている様子を見るのが単純に好きであり、出来るだけ死なないように、出来るだけ憂鬱になって動きが鈍ることのないように、みんなに生きて欲しいという個人的な好みによるのかもしれない。ブログを書いて自分のくらしを見せる事が好きだったり、ブログを読んで人の暮らしをみたりするのが好きなのも、そういった経緯かもしれない。またいつもちょっと王道から逸れた選択を繰り返してしまうのも、自分自身を違う環境において、誰も書いた事がない周囲の様子と自分のマッチングを書きたいからなのかもしれない。