いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

寛容ではなくなった

無気力だったから寛容だったけど月給ももらい、食事もちゃんとしてエネルギーが出てきたから寛容ではなくなった。寛容とかではなく無関心だったのだとわかった。寛容だと思っていた自分は力を出せば随分癖の強い人だったようだ。ひとなんか少し弱ってるくらいがいいのかもしれない。

 

最近どうしたいかずっと考えているのだが、もしこの先学生になるなどしても、働くことはずっと続けていたい。お金を稼ぐことはとても大切。いろいろなことを勉強して、いつか会社を買ったり譲り受けたりして、自分で商売回してみたい。

 

なんかメガネ買ったし旅行したからとてもお金がなくなったけど大丈夫。

 

自分は社会の被害者じゃない。社会で成功する。