国内トップシェアメーカーの営業職の面接を断った。この面接に参加するか参加しないかというところで、かなり自分は悩んだ。ボーナスがちゃんとボーナス(お小遣いでなはない)金額で支給される会社なので、年収はがっつり上がって三百万を超えると思われたが、①酒をたくさん飲んで接待する仕事があり、体を壊した人もいる、と一次面接で言われたこともあり、また②家賃手当てについては入社意思を確認してから説明しますと言われてエージェントを通して確認することができなかったこと、③縮小業界であること④自分には向かないと精神科医やカウンセラーより大学時代に再三教え諭されてきた職種である「営業職」であるという点が気にかかった。主に自分は①と④の理由で辞退したのだが、④については「カウンセラーとか精神科医はそう言っていたけど、借金玉さんは営業職をやっている。自分にもできるのではないか」という気持ちと、「できなかったらそれで許してもらえるかもしれないが、次の仕事はもっとひどくなるし、正社員にはなれないのではないか。別に正社員でなくてもいいけど、正社員で無くなってもいいやと思えるほど、余裕も自信もあるわけではない」ということを考え、割と悩んだ。昔の自分なら今の職場は自分に向いていないというだけの理由で、リスクを取っていただろうけれど、今は旦那がいるし、旦那と将来こういうことをやって、などといろいろ考えたりもしているのだから、それはできない。というよりはリスクを取らない人並みの生活をしばらくしてみたいとも思ったのだ。
①の酒を飲むことがなぜいけないかというと、私は酒を飲まない方が幸福に感じるのと、本が自由に読める時間が酒を飲むと減ってしまうのと、酒の席で言われたことや愚痴られたことをいちいち本当に考え込んでしまって世間との付き合い方のバランスを崩してしまうのとがある。それから普通に誰と時間を過ごすべきかを考えれば、ミニマリスト氏も書いていたけれど、それは家族と過ごすべきなんである。ミニマリスト氏の記事は以下。
書いてあることは単純だけど、本当にその通りの時代であると思う。あと実家からインゲン豆が送られてくるのは本当に羨ましい。
私たちはみんな貧しいし、退職してからかつての上司や顧客と酒を飲み交わすような余裕もないし、全国、世界各国に散って次の仕事で働くだろうと思う。職場での関係はその時限りの掛け捨て的な感じが最近はしている。その意識の上でいかにお互いに傷つけず、無理をせずに仕事を終わらせ、相手にも給与以上の無理をさせないようにできるかという意識低い系、生ぬるい系、優しいつもり系の勤務態度を私も周りに合わせて身につけてきた。
その代わりに勉強したり、早く家に帰って好みの食事を作ったりしている。このブログもそんな風に継続されている。
職場の人たちもそういう関係を寂しいと思っているのかもしれないけれど、それをお互いにどうすることもできないし、たまにやたらめったら部下にご飯を食べさせる人などがいると、「お金の管理ができない人だろうか」「家族とうまくいっていなくて、部下にさえすがる気持ちなのだろうか」「何かおかしい」「計画性がない」というような違和感を持ってしまう。そして私や同期のような年代の人間としては「早く帰りたい」「酒飲みたくない」なのである。そもそも自分たちが最初の職場として選ぶような職場の給与と待遇のままずっと勤め続けている人とあまりふれあい過ぎてもいいことはないのではないかという悲惨な気持ちさえ湧いてくる。
以外にニコニコしているけど中身は殺伐とした警戒心で満ちているのである。私たちは貧乏くじを引きたくない。不況の中で過ごしてきた。このまま貧乏で終わりたくない。その気持ちが強い。せめて中の下の現状から中の上には行きたい。
このままではダメだ、という気持ちを持っていない人とずっと一緒にいると、自分がダメになってしまう気がするのだ。「稼ぐことには興味がない」「ほどほどに食べていければそれでいい」と上司はいうが、そんなことを言われる部下の気持ちも考えてくれ。悲惨だ。私たちだって「稼ぐことには興味がない」。しかし「稼がなければならない」「のし上らなければならない」「ここで終わっていいはずがない」。こういう気持ちをバカにして無駄だと諭してくる本はいくらでもある。無駄だよと言われる。いつも言われる。もっと幸せそうな環境を提示される。
例えば以下。
こういうのを見ると確かにそうだと思う。
生活の面ではそれが正しいと思う。けど仕事の面では、どうせ仕事をするんだから夢を語って欲しいとか思う。もっと自分のやっていることの意味と無意味をギリギリまで問い詰めてくれよと思う。
そうは思いつつも疲れている自分もいる。
でもこのままじゃダメなのよとも思う。そんなことばかりだ。そしていつも仕事に使っている時間は半分ぐらい無駄だと思っている。なぜそんなに無駄だと思ってしまうのかがわからない。
正直ものを持ったり、家を持ったりすることと、私がいう「のし上らなければいけない」の「のし上がる」は全く関係ない。強烈な承認欲求の表れと言われればそれまでかもしれないが、本物のことをしていると感じたいという気持ちだけだ。
何を持ってそれを実現するのかわからないから、営業としてそれを実現するというような考え方もできず、体を守りたい、酒を飲まされたくないという気持ちだけで最終面接を断った。どうすればいい。
雪が降った。
花畑なのかここは。蝶が飛び交うたびに意識が乱され、動悸がする。
正直ねえ、悲惨なルポ記事とか本とか読むけど、あんなの小説と何が違うのかなと思う。結局ムードを掻き立ててそれを楽しんで、いろんな気持ちになる人がいてというだけの作品なんじゃないかと思う。それよりこうやって毎日書いているブログの方がずっと切実だし、自分を記録できているし、それは他人に記録されるのとは違うそういうふうに思います。
一人暮らしを始めて10ヶ月くらい?自分が生活に必要だと思うものは大体買った。