いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

工場勤務

旦那の体調早く良くなるといいな。

 

なんとなく部署で一人の上司が追い詰められている感じなのです。なんとなくその人は偉くなることにプレッシャーを感じているけど、上司の上司もどう支えていいかいまいちリズムが合わない感じで、なんともいえない風な感じ。

 

私の家はアパートなので、隣の家の人がお風呂に入ると玄関前のプロパンが唸って、隣の人がお湯を沸かして浴びているというのがわかる。それを聞いてなんとなく上司もお風呂はいって和んでいるだろうかと思ったが、一応相手は男なのでこういうことを想像するのはちときもいかもしれないと感じて、いや別にそこまで想像していないぞ!そういうやつではない、と自分で弁解した。

 

上司よくわからない人なので話すときはくだらない世間話みたいなものになってしまい、一応上司がやってということは余さずやっているが、それで実際助けになっているのかはよくわからない。上司がこういうことできたらいいなということで自分でできないことについては自費で本を買って勉強している。自分でもそういうことをやってみたいと思うからだ。上司がやってみてということと自分がやってみたいことが重なっていることは幸福だと思う。

 

Excel & Access連携 実践ガイド ~仕事の現場で即使える

Excel & Access連携 実践ガイド ~仕事の現場で即使える

 

 

初めてこういった内容の本を読んでいるけれど、実際に必要な情報は全部ネット上にある。けど全体像がわからないと、このソフトでできることのバリエーションがわからないから、いわば自分の中に目次がない感じ。自分でやりたいことにぶつかったとき、それがどんな風に検索したら出てくる内容なのかわからない。だからネット上に情報があるからといって本が必要ないわけではない。確かにネット上に本みたいな内容と目次を持つものがあるけれど、私個人の感覚としてはネット上で索引にある一から百まで全部読み切るというような行為は結構しんどいし、実体のある本の方がわかりやすい。とかいっていると本がどんどん溜まるのだが。

 

最近労災が起きないのでよかった。もう商売繁盛とかも重要だけど、人が切れたり落ちたり溶けたり死んだりしないことが一番大事だと思う。残業代の計算が工場で適切になされていなかったらしく、それを同期が指摘して是正された。そしたらそのせいか何かそうでないのかは知らないけれど、残業代がかさみすぎているという話をよく聞くようになり、そもそも残業前提で製造計画立てているのに欠品欠品でおかしいのだから、問題が直視されてよかったじゃないかと思う。工場の人は従順というか、もはや無感覚になっている部分がとても多いと思う。今更残業代の話なんてして、バカみたい。堂々と指摘した同期は勇気あると思う。大卒の理系現場仕事人は将来は工場長コースらしい。そういう将来もありうるんだなあ。

 

最近情報共有的な興味も含めて工場勤務のブログを探している。

あと来週最終面接に呼ばれているけれど、営業職の面接なので、ちょっと不安に思っている。というか私そもそも営業職とか無理じゃないのかと思っているけど、ガッツでやればなんでもできるとは思うけど、毎日席に座っていて出かけなくてもいい、初見の人にもあんまり会いに行かなくていいこの環境よりは疲れるかもしれない。けど自分で自由時間は好きなところに行ってよく、いろんなものを見に行けるのはいいかもしれない。そういう体験談をもっとブログにみんな書いて欲しい。

 

私の場合は、仕事を始めてから入力作業が煩雑だったり手書きが尊重されたりすることにはストレスを感じていて、エクセルとかを使って入力を極力自動に近い形にして見たり、なんでもおあそこんで書類作ってしまったりしている。でも周りの人と比べてやっぱり書き込みとか入力のミスは多いし、一度に2つ以上のポイントに注意していると必ずミスする。でもやはり環境に適応はするもので、久しぶりに母に会ったら、母が無茶苦茶なミスをしており、ウェブサイトの入力フォームもまともに入力できていないのを見て、あーこれはやばいけど私も前はそうだったわと思って、自分の行動はとにかく東京にいた時よりゆっくりになったし、動きも慎重になったと思うようになった。東京にいる時にはそれを愚鈍と思っていたけれど、この環境で働くには必要だし、ミスも前より減った。東京にいるとそもそも行動量が半端ではないし、いつ何時も何処へでも行ける誰にでも会えるだから、集中力が養われる余裕がない。でもとりあえず立っていると座れと言われ、歩いていると止まれと言われ、開けようとすればよく見てから開けろと言われたり、実際に労災が起きている現場に入ったりすることで、ミスを減らさなければ、自分で自分の身辺に注意しなければと思うことが増え、まあなんというか、確かに本当にゆっくりと行動するようになった。まあそれでもミスが多いと言われているし実際そうだろうと思う。

 

意識高い一心不乱な感じの欲望に動かされることが東京にいる時よりは減り、身近な問題に対処する知識をちょっとずつ、勉強するようになったと思う。今までいた環境では本質を見抜くことが優秀という感覚だったが、今いる環境では、本質を見抜いても自分の手を動かして解決しないことにはちっとも役に立たない人間でしかない。まあ実際本質を見抜いてそれを喋っているだけで商売になり認められるのは文筆家とか教授とか扇動者とかそんなもんやろう。労働者は手を動かして問題を解決してこそってやつ。かと行って本質を見ることができない人が作ったシステムは使えないし、本質に立ち返れなければ、毎日搾取されるだけで終わってしまう。両方が必要というわけ。

 

 

シモーヌ・ヴェイユ選集 II―― 中期論集:労働・革命

シモーヌ・ヴェイユ選集 II―― 中期論集:労働・革命

 

 

 

熱帯

熱帯

 

 

私の工場も、まさにこの下のブログの方のような感じです。

ringojapan.hatenablog.com

私も女ですがスナックに行きました。スナックに行ったのは就職してからが初めてでした。なんか面白い場所です。特に座り心地がいいわけでもない椅子にみんな腰掛け、カラオケなどを歌ったり、女の人と話したりします。

 

ちなみに工場で働いていると、若いということがいかにいいことかがわかる。こんなに人手不足の工場でも、年がいっている求職者は容赦無く落とされる。「やっぱり年がいっているから」それだけ。