いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

最後の晩餐擬似行為

寒い寒い12月29日が来た。職場の奇妙な先輩の入れ知恵で、ついに私は文章中に出てくる数字を全て半角にする変な病に取り憑かれてしまった。趣もへったくれもない。バンコク共通の掟だとでも言うのであるか。崩れされ愚者ども。だいたい全角の中に数字だけ半角と言うのはおかしいではないか。そう言うことだから。

 

奇妙な入れ知恵のせいで段落替えの時に一文字分下げなくなってしまったじゃないか。さすがにこれは気持ち悪いので次からは直す。

 

今年買おうと思っていた本を来年に回したので、今年まだ少し美味しいものを買うことができる。そう言うわけで私はスーパーへ行き、好きなものを選んで買った。ただし一人で食べても虚しいと思うものは買わなかった。とにかく寒い。ピザとかマグロのお刺身とかは一人では虚しい気分だったので、手にはとったが戻しておいた。ここらはたらこが高すぎる。好物なので寂しいが、タラスパのソースを買ってスパゲティーを食べることで癒している。そのうち訳あり箱買いとかして気を済ませたい。ただそう言うのもなかなか値段がする。巷には美味しいものが溢れているが、本当に満足するのは美味しいサラダに出会った時だったりする。とかなにOLみたいなことを言ってんだか。

 

好きなものを買って二千円程度を支払い、家に帰ってそれを食べ始めたが、なんだかこれって最後の晩餐擬似行為だよなあと思って。つまらない話さ。結局我々は最後の晩餐として自分に用意するだろうと思えるような自分の好きなご飯を買うために働いているのでしょうか。

 

刑務所で最後の晩餐なんか食べてもつまらないだろうと思った。私と話したら誰か「自分が刑務所に入った時に私がみかんを持って会いに来てくれる気がする」と夢の中で言っていたんだ。よく飄々としていると言われる。サイコパスだからだ。

 

刑務所には興味がある。もし弁護士になったら積極的に面会しに行くだろう。ともかく仕事が私を汚している。汚しているのか実用可能な人間にしようとしているのか。結局転職とは言っても、転ぶだけで大して変わらないと言う気がする。相変わらずふるいPC、古い上司、古いカビ臭い加湿器との付き合いだ。

世襲企業の最終面接に行けることとなった。自分は何か変なゲームをプレーしているようだ。なんか世襲企業に好かれやすい。世襲企業に入れると光る特殊な武器でも持ち合わせているのだろうか。隣の部屋の住民がしゃべっているのかテレビを見ているのか電話をしているのか怒っているのか、よくわからない。とにかく何か声が聞こえる。年末なんかこんなものだろう。

 

昨日の忘年会で飲んだ酒が体に残っていない。ひよこは横向きだからひよこなのか?何かこれ以外の生き方はないのか。

 

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

 

 

 

 

 世の中の人はどっからお年玉をあげる費用を捻出して来たの。少なくても微妙な思いさせるだろうし、みんな私が子供の時よりお金あるやんかー。お姉さんはつらみやよ!初めてコープデリの注文をしました。これで毎週の食費を確認しやすくなって、食費少し減らせるかな。

 

本質を見抜く人は大切だし得がたい才能だ。しかし本質を見抜いているだけで手を動かして解決しなければただのアジ係だろう。私は掻き立てるような文章を書くことを好む。混沌をあえて引き出すようなのを好む。けどまず手を動かして解決しようとすれば、そんなことに私は喜びを感じることができない。そういう自分に何を喜びとして仕事をさせるか。しかも最後の晩餐疑似行為をするため以外に。