いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

読者登録が300人を超えました。仕事を始めて9ヶ月が経とうとしている。

仕事を始めて9ヶ月が経とうとしている。仕事を始めてとは言っても、就職する前の学生の時だってアルバイトや日雇いをしていたから仕事はしていたのだけれど。

 

この会社に来てから、つくづく自分の無力さを感じるばかりだ。不便なことが多すぎるが、自分でなんとかするにも勉強が追いつかない。これまでずっとブログをテキトーにして、本を読んだりしていたけど煮詰まって来た。自分がやっていることが良い方に進んでいくのかわからない。読者も300人超えたことだし、ここで腰を据えて少しブログに集中したい。自分が悩んでいることをここに書いて、少し落ち着きたいものだ。

 

同期が五人もやめてしまった。だいたい三分の一は辞めてしまったことになる。

好きなブログの人が若い仕事仲間が退職したという記事を書いていて、そしてご本人も退職されるそうなので、これはご本人にとっても、退職エントリ的なものだと思うんだが、これを読んで、あー、同期が5人も辞めてしまったーと改めて思った。そして全員が全員、2度と思い出したくない職場、忘れたい職場と思っているだろう。つらみ

 

あと私はミニマリストになっていくと思う。私は多分この職場から離れると思うが、その時には心を決めて放浪しなければならないだろうと思う。今やっている職種は私がずっとやりたかった仕事で、この職種につけて嬉しいが、どうしようもない。放浪する時には荷物が多くてはダメだ。そういう訳ですから私は荷物を減らします。少々疲れました。

 

 

とか言いながら仕事の本を読んでしまっているのだが、私には変えられないことが多すぎるし、毎日冷凍庫で作業して体力的にきつい。しかし自分にもこう言った月並みな落ち込みとか、無意味ではないかという感情と戦うという経験が備わってよかったじゃないか。表面上はアスペだが、根本的な感情や挫折は周囲と似通っているんだとわかるし。

 

転職活動をしても、転職先では今の職種につけない、と思っている。まず募集枠がベテラン専用枠のようなところしかない。でもこの先私の会社でこの職種を極めても、こんなにITの欠如した会社は町工場くらいなレベルなんだから、到底ましな給料を受け取れるような会社にて、同様の職種にはつけない。そうすると私の今の仕事は、原始的な仕事を覚えるには役立つにしても、この経験から自分で役立つ仕組みを開発できるようでなければいつまでもこの状況が続く。

 

でもさ正直どうすればいいの?開発って、そんなことやったことないし、全然わからない。今やっている仕事も、散り散りに散りまくっている。私は英語ができるとかいう噂になっているので、最近やたらと翻訳の仕事通訳の仕事ばかり回ってくる。私はもっと勉強しなければ翻訳も通訳も全然なってないけど、この会社ではこの英語力で十分目立っている。それも嫌なことだ。どうせそのことに時間を費やしてそれを仕事とみなされているならもっと高いレベルを要求されたいし、これくらいで頭がいいとか言われたくない。もっとレベルの高い人も周りにいてほしい。でもここは田舎だし、全然意識高い人とかいない。私は珍しい人材になりたいのに、凡庸なものしかない。ネットサーフィンとかすれば、全然面白いことはなんでもあるけど、凡庸な職場で灰色の時間を毎日八時間過ごさなければならないし、ネットサーフィンは禁じられている。読書も禁じられている。変な仕事ばかりある。この職種の醍醐味のある仕事になかなか取り組めない。そして部署内に取り組んでいる人もいない。というかこんなに事務作業が手作業で行われまくっていたらそりゃ無理である。最初私はなんでか午前中で仕事が全部終わる、と思っていたのだが、それは間違いで、午前中の肉体労働が終わった後の、午後やっている単純作業も、実はこの職場にとっては「仕事」だったのである。この全くクリエイティビティが発揮されない事務作業と、その自分でやった事務作業が間違っていないか確認する作業がお高い正社員の「仕事」だとは!嘘みたいな話だ。

 

しかもこの職場ではこの事務作業を減らそうと取り組んでいる人が「怠惰だ」「楽をしようとしている」「キチガイ」と言われて排斥されている。「そんなこと言うんなら正社員じゃなくていい、派遣の人を雇って、黙って事務作業をしてもらえればそれでいい」とか言って効率化しようとしている人を排斥しているが、馬鹿らしい。そんなクリエイティビティを発揮しない仕事ぶりでいいのなら私たちの仕事はそもそも人間がやる必要なんかないじゃないか・・・てかこの会社は派遣の人の方が多いんじゃないのか。この会社で何十年も働いている人より、いろんな会社で働いてきた派遣の人の方がずっと能力あるし、この会社の非常識に気付いてるし。てか利益率低いまんまって、そんなん当たり前でしょう。

 

去年のクリスマス辺りは何を考えていたんだか、まるで思い出せないけどブログを探せばなんかしらあるだろう。なんか毎年クリスマス辺りになると今年の問題が片付け切らないことに絶望してこんな感じに気持ち悪くなっていたよなと思った。でもそれなりに楽しいこともある。ケーキを食べたり、イルミネーションを見たり。それぞれの行為は全然魅力を感じないけど、それが旦那とするとなれば楽しい。二人なら多分ケーキを無言で食べても楽しいと思う。明日は旦那と会えるから嬉しい。問題は山積みだけど、問題じゃないと考えれば全然問題じゃない。これまで生きてきてだいたいの問題は、人によっては気にしないような内容で、そのことから離れてしまう、もしくは割り切って振り捨ててしまえば全然問題ではない。

 

あー暇だなあ。と言う気持ちを大切にしない。あれもできていない、これもできていないではなく。問題に自分の骨を蝕まれてはいけない。まず私があり、その辺に問題が転がっているだけ。転がっている問題など時が経てばどうでもよくなるので、自分自身を鍛えることが大切だと思う。的なことを考えておくしかもう方法がない。

 

この本にも、暇だと思える時は心が元気な時的なコメントあった。