いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

本記事は音声入力

・音声入力をしているブログ書きさんを見つけた。日頃から話すより書く方がちゃんとできていると思う私だが、書くつもりで話したら割とうまく行くのではとかも思い、私もやってみる。

 

 

 さっき家に帰ってきて旦那と電話をした。この近くのスーパーマーケットで昨日さんまを買ったんだけどそれを焼いたらとてもおいしかった。さすが旬のものだ。先ず以て焼いたときの油の匂いが違う。そのことを旦那に話しながら食べた。こんなにおいしいサンマなら五尾は食べられる。後で気がついたのだがすだちをかけるの忘れた。うますぎたために。

 

明日出勤なので時計を全部ちゃんとセットしておかなければいけないと思う。目覚まし時計が鳴らなかったら大変だし私の場合は目覚まし時計が2つあるので2つともならなければならない。もし1つしかならなかったとすると私は起きることができないというか起きてからもう一度寝てしまうので結局会社に行けない。入社してから今までちゃんと会社に行けているのは自分としてもすごいことだと思う。

 

あーそれからさんまを焼いているときにホヤガイも茹でていたのですが、これはちょっとと食べているときにやばい感じがしたので途中で食べるのをやめましたもし食あたりとか起こしたら仕事に行けないから大変だと思う200円無駄にしてしまったのでこの経験は次に生かしたい。もしも舌がが食べているときにしびれてきたらすぐに食べるのやめたほうがいいし今日はなかったけどもし刺激臭があったら絶対に食べるのやめたほうがいい。

 

久しぶりにお茶がなくなってたのでお茶を買った。今日買ったのはほうじ茶でそれは最近緑茶ばかり飲んでいたのでなんとなく眠りにくくなっているのではないかと自分で何かその原因を予想してほうじ茶にすればちょっとマシになるかもしれないなと何となくイメージが偏見でそう思ったから。とにかくほうじ茶を買った。

 

 

実は18切符を本日使って乗り鉄をして隣の県のちょっと奥深いところまで電車に乗ってでかけていた。何をするわけでもなくてただ移動するだけ基本的に山しかないのだが、そろそろ稲穂も黄色くなっていて18切符のシーズンの最初の時に電車に乗ってこの景色を見た時とはまた違う景色の良さがあった。植物が健康に育っている様子には心和む。病気になっていたりとか枯れていたりとかするとやっぱり心配になるし気持ちが良くはない。人間も植物も気候や事故や病気に打ちひしがれてしまうことがある。やっぱりわれわれは仲間でたいして変わらないなと言う気がする。植物は時計を見ないってそれだけのことだ。とは言え実は時計をつけて通りすぎる人のことをずっと見ていて時計もちゃんと見ているのかもしれない。ただ植物はその時間の流れにエモいとか感じない時かもしれない。しかしそう思っているだけで本当は感じているのかもしれない。

 

最近感じるのがこの辺に住んでいる人には人権が都会に住んでいる人の半分もない気がする。この土地ではみんな無理を言われても当然のごとく笑顔で受け入れている。何かがまずいと思ってもシステムや制度や政治が悪いと言う考えにはならない。または考えにはなるのかもしれないけれども誰かに言って何とかなると思っていない。よく言う言葉は「しょうがない」。私から見ればみんないい人すぎる。またこの辺の人は東京に住んでいる人に比べて稼いだお金を全部使ってしまう習性にある気がするり。とにかく給料が上がれば車を買い替えたりいりもしない家電を買ったりして。だからこの辺の人は経営者にとって使いやすいようにできている。いつもお金を使ってしまいいつもお金を稼がなければならない。給料が少しでも上がると言うと経営者にとにかく感謝して笑顔になる。しかし私は知っているのだがここらに働いている人の給料は東京にいる人よりもすごく低い。ここらの製造業の工場で製品を作るのはいいがそれによって得た利益の一体何%が私たちのところに来るのだろうか。作った製品の大部分は大手流通のプライベートブランドのパッケージをかけられ、きっとすごい大きさのマージンをかけられて市場に並ぶ。何か欠陥がある問い合わせはうちで対応。銀行は私たちに金を貸す。儲かっても損しても、金利は回収される。工場で働く人たちは都会で働くひとには想像もつかないくらい変な理由で死ぬ。残業130時間を毎月した後に、都会の人たちが何十年も前に設計してそれを商品として売り出した機械に巻き込まれて死んだりとかする。東京で自分の子供を大学まで行かせた人がどうしていきなり地方に就職した息子や娘が工場でちぎれたりきられたり押しつぶされたり転んだりぶつかったりして死ぬということを想像できるであろうか。この人権の恐ろしい断絶。都会との人権の格差。とんでもないことだと思う。私が法学部にて学んでいるときには世の中の大抵の人は法律を遵守していてまた自分が担当する分野についての法律をしっかりと把握しようと言う熱意を持っていてたまにそれには悪意なく溢れてしまったり悪意を持って法に反する行為をしたりする人がいるのだと言う認識だった。しかしここでは大抵のことが法律通りになされない。もつ就職した時から雇用条件通知書が交付されない。配られてもその内容が当然のように間違っている。また法律よりも嫌いとか人情とかが先に来る。そんなに人情とか気合いとか言うんであれば法律を理解しようと言う気合いも持って欲しいものである。

 

苦労してかせいだ金は銀行とかコンサルとかプライベートブランドやってる多く流通とかにかっさらわれて行くのに、怒りもわかないようだ。基本的に奪われることに執着がない。こういった管理のための闘争と言うような言葉を全く受け入れられないような国民のあり方を一体法学部の教授の誰が把握しているだろうか。

 

それにしてもちょっと腐りかけの海産物を引き当ててしまったときの部屋の中が微妙な匂いがいつまでも取れないこういう時に人はリセッシュなどを用いるべきなのであろう。