いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

喧嘩したし落ち込んだ

 喧嘩してしまった。なんか相手が別件でストレス溜まってることとかに気づかず、更にこれやらなきゃあれやらなきゃと、これは電話かけるだけで済むんだから早くかければいいじゃんとか、圧かけてしまう。

 

 嫌だけど自分の親と同じことしてるのかなと言う感じ。

 

 そもそも私に取って仕事すること自体、かかってくる電話にはすぐ出なきゃだめだし、知らない人と名刺交換しなきゃだめだし、その時は名刺をちゃんと相手のより下になるようにしなきゃいけなくて、しくじって謝ってもだめなやつだなみたいな顔されるし、その様子を上司は見てるし、電話で受けることに集中してしまい、とっさのことに対応できなくて上司に聞いたら「そりゃそうじゃん、なんで自分で気づかなかったんだろう」と思っちゃうような解決法があったりとかで、「だめだなー私は」とか愛嬌程度に言うけど、案外それが自分の中にゴツゴツ溜まって行く言葉だったりして、本当嫌になる。でもそんなことできて当たり前、耐えて当たり前が社会のルールみたいな感じらしくて、そんなことやってても誰も褒めてはくれない。私に取っては大変なことだったんだけどね。

 

 つらいなあ。

 

 知らない人にすぐ電話かけることなんて、私も会社じゃなきゃできないことに気づいた。多分それって、メンヘラ父から恐喝みたいな電話がいつも来てたせいで、電話自体恐怖症になってるからなんだけど。私も仕事始めて必死で電話取ってたんだなと言うことに気づいた。もともと取れなかったのに。てか、いまでもプライベートの電話は無視すること多いけど(だめだなー)。

 

 なんですぐ電話かけてよって強く言ってしまったんだろう。それって仕事してる時自分が自分に言い聞かせてる言葉だったのかもしれないよね。今電話かけたら、次の行動にすぐうつれる。だから電話かけろよって。

 

 思えばかなり必死でつらいやって思いながらやってたのに、なんでそれを弱ってる人に求めてしまったんやろ。結局かたちだけできてる自分を褒めてあげたかったから、人を痛めつけたんかな。本当だめなことしてしまったと思った。

 

 好きな人にはできれば無理させたくないって思うのに、帰って頑張ってやってたことをストレスかけちゃってぶっ潰してしまった。応援してるとか言ってだめすぎなんだよね。

 

 自分がどう言う人間だと思いたいがために人に何かを話したりするのは本当にダメだと思う。自分がどう言う人間かは、私が自分をどう思うかとか関係がなく、私が何を今この瞬間してるかと言うことなんだよな。それを人を利用して自分の行動に代えようとか、しかもそれで人を嫌な気持ちにさせるとかだめすぎる。

 

 地球自体に閉塞感。

 親と離れて親が嫌な奴ということも日ごろ考えなくなって、なんとなくまた親に認められたいという気持ちが湧いてきたんかな。認められたりなんかしなくていいくらい嫌な奴なのに。嫌なのにやってること話して褒められると、なんかいい気持ちになって帰ってくる。それでまたその効果を持続させたくて人に何かを言ってしまう。100歩譲って、何か自分で責任を持って努力するならいい。人に圧かけるなんて最低だよと思う。

 

 結局誰が何考えてるかなんか私にはわかんない。みんな私のこと嫌いでも大丈夫っていつも自分に言い聞かせてるし、やらなくなったら転職すればいいって思ってるし、人に恨まれて電卓盗まれたら嫌だと思っていつも電卓会社から持って帰るし、恨まれてデータ消されたら嫌だからパソコンにロックかけるし、一つ消されても大丈夫なようにコピーのデータ作っている。それをしてやっと「してやったり」な気持ちになって安心して家に帰れる。上司が匂わせてることとか理解できないし、そうなのかな?と思ってもそうではない場合も考えまくって、最終的に期待しないようにしようと思ってたら、本当は最初の解釈がただしくて、なんでもっとお礼言わないのとか言われて、しかもそれやりたかった先輩からなんか冷たい目で見られたりする。つまんねー。いまやってみてる。

 

 そもそも火災保険入ろうとしてる理由が、「同僚に恨まれて放火されたら困る」という発想が本当のところあるのでどうかしてると思ってる。でもそういう風に考えてることは人に言っちゃいけないと思うようにしてて内緒にしてるから、そういうことを他人からなされてもうまく反応できなくてわるい。

 

 というか上司がなんのつもりでそれを言ってるのか本気でわからなくて最近つらみ。褒めてるのか怒ってるのかさえわからんあすぺえ

 

 備忘メモ。相手のことは相手のペースで。