いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

職場で事故があるとどう思うかっていう感情の記録 

 職場で労災が起きると、翌日、無労災日数記録パネルの数字が「1」に戻る。痛い。「1」に戻っているとみんな言ってたけど、すぐそこにあるパネルがいやで私は確認できなかった。職場全体にヒソヒソ話が始まる。どこの現場で何が起きたか。左右の胸がギンギンする。いつも通り飯がうまい。派遣の人たちの態度が少し刺々しくなる。いつも通り飯がうまいということが悲しくなる。まず、まさか死んだか、という思いが胸をよぎる。でも死んだか死んでないかということもしばらくはわからない。工場の人に聞こうかとも思うが、なんども聞かれているんだろうと思う。そうすると聞くのも悪いという気持ちになる。聞くのも悪いよなあ。まあこんな時に限って誰も聞かないってこともあるんだけど。まさか死んでるならこう平然と仕事が進まないだろうと思う。うーん、ないだろうな。でもありうるのかもしれない。もちろん労災の中でも死ぬことなんて滅多にない。人間には死にそうになったら死なない方向に体を避ける力がある。だからなかなか死なない。

 

 午後、なんとなくだるい。コーポレートスローガンとかなんか色々、会社のロゴも色あせて思える。おかしい。コーポレートスローガンもロゴも言ってることは正しいつもりなのに。ばちばちと音を立ててパソコンに打ち込んだ。

 

 だるい。

 激しく質問してしまう。仕事に打ち込んで激しくやろうと思っちゃう。結果的に先輩に迷惑をかけている。

 

 同期を通じて、死ぬようなことじゃなかったということがわかる。働いている人の不注意で労災になったということがわかる。でも誰でもやりそうな不注意なので、そんなこと、と思う。そうできないようにプロセスを設計するべきだし、作業着を工夫すればいいのに。私は理論しかない人になりたくない。ちゃんと勉強して改善提案できるようになりたい。

 

 営業が注文を取ってきても、その注文が製造を痛めつけている状況。ここで自分の仕事のことだけ考えてればいいやと思ったら終わりだと思う。私は絶対負けねえよと思う。顔を上げても、古びた壁が見えるだけ。普通に過ごしているのに、なんか頭が悪くなりそう。俺はニヤニヤした。ここでつまらない顔でもしてみろ。負けだぞと思う。視界が少しはっきりと同定された。

 

 自分のお父さんと同じくらいかちょっと上くらいの歳の人が、もう定年の話をしているという事実に愕然とした。父だって生きていればそろそろそんなことも考えていたんだろう。まだ五十代なんすよ、死ぬ気で働くんすよとかひどいことを言ってしまった。ほんとはなんとなく悔しかったからだ。

 

 光を照射して全てをあからさまにしてみろ、話はそれからだ。自分の弱さを食って生きていく。

 

 

 ナマけものさんのブログに取り上げられました。その時はありがとうございました。お陰でちゃんとやっていけます。

flightsloth.hatenablog.com

 

まあこんなことも見ています。

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今週のお題「おとうさん」