いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ミスと山椒の実それから

 農林大学校の社会人コースに行こうかなとふと思ったけれど、それをやり始めると他のことができないし、そもそもアクセスするための交通手段がないのでやめておいた。最悪チャリで通えばいいのだが、それをするなら、「これで生きて行く」くらいの覚悟がないと続かないだろう。これから灼熱の夏が来る。秋にも募集があると思うし、もう少し自分が何をするべきか考えようと思う。なんだかんだで仕事と関係ないことを勉強すれば将来のためになるのだが、一日の長い時間を費やしている仕事に関係のないことを勉強しようとするときつい。だから農業とか関係のあることを勉強したくなるのだ。まあしかしはっきり言って私のアドバンテージはそこにはないのだけど。

 

 ここは頑張って仕事に関係のないことも勉強しないとだなあ。

 

 とはいえ何処かで繋がっているから完全に関係ないなどということはあり得ないのだけど。

 

 新人は与えられた仕事を精一杯やれというけれども、目の前の仕事に一生懸命になるのは思いの外大変である。その仕事が大変なのじゃなくて、一生懸命になることが大変。自分は何となく痛ましいなあと感じることがある。例えばどういう時かというと、ミスしていたことが作業の三日後に分かったけれど、なぜミスしたのかわからないというシチュエーションで、なぜミスしたのかずっと考えてわかろうとしている時。割といつまでもなぜそうなったのか悩んでしまう方だ。なんかそんなことでいつまでも悩んでいるのが痛ましいなと思う。

 

 私は平成生まれなので、例えばファックスのような機械はほとんど使ったことがない。そもそも説明書をしっかり読んで使うような機械は使ったことがない。呆れたことかもしれないが、大抵の機械は使っていれば使えるようになった。大抵のことはパソコンですませて来たし、個人で何かを注文するときにもファックスなんか使ったことがなかった。私はよくメールを未完のまま送信してしまっていた時期があったのだが、ある時期からメールを作成してから10分経たないと送信されないように設定する拡張機能を使って、自分でメールを完成させてから10分間、送信まで自動的に猶予がもたれるように自分で環境を整えた。メールであればきちんと送信できているかは、あとで送信履歴を見れば確認できる。もし「はっ」と思って直すところを思い返したら、作成して10分以内であれば送信を中止して修正することができる。それで何とか社会で人の邪魔をすることは最低限に抑えてきた。しかしこのファックスという機械は拡張機能を許さない。なかなか困ったもんである。単純すぎるのである。その割に変なところに機能が付いており、その機能がどこまでかかっかっていくのかよくわからないのである。おそらくそれは説明書を読めばわかるのだが、あえて偉そうに言えば私には説明書を読み抜く集中力がない。現代人にはこういう人結構いるんじゃないかと思う。

 

 いやファックスについてこれ以上グチをいうのはやめよう。要するに私はこの機械で行う作業についてミスをした。だるい。情けない。そもそもファックスとかやめてメールで送ることにしないか。いやそういう話をするのはもうやめよう。素直に反省できないのかと自分に問いかけるが、この会社にはそもそも自分の集中力とか意識のあり方に馴染まなさすぎる機械やシステムが溢れておる。いやそういう話はやめよう。素直に反省しなければならないのである。どんな高度な仕事も手作業からである。

 

 というか三日前に何でミスしたかなんかわからない。三日前といえばどんな気分だっただろうか。ブログを読み返すと何だか語学のことで苛立っていたみたいだ。何事も苛立ってはいけない。このときなぜ苛立っていたかといえば、とどのつまり自分の語学の能力が期待されているほどではなく、がっかりされたと思って悔しかったからである。つまり私の語学の能力が期待されたほどではないからいけないのである。期待されたほどではないのはなぜかといえば、私の勉強が足らないからである。勉強すればいいのである。自分のコンプレックスを解消しようと努力すればその分悔しく思うことも減ると思うしかない。

 

 意識高いとか言われる所以なのかもしれないが、意識高いというよりビビリなだけである。家に調味料が醤油と塩しかない生活にいきなり山椒の実が飛び込んでくると、ものすごく奥深い味わいを感じる。これだけで新しい料理を発明したんじゃないかと思うくらい肉が美味しくなる。

 

 グチを吐き出していたらキーボードにかなり慣れた。グチも捨てたもんじゃないのである。あと最後に、失敗したときにちゃんと反省させるためにも、ある程度仕事を教えたらその仕事を「任せるよ」と言って任せ切ってみることが大切だと思う。場合によって手伝っていたりすると、結局そのとき誰が作業をしていたのかわからなくなり、自分の責任のある仕事がこけたという自覚が持ちにくい。自分に後輩ができたときには覚えていたい。ただし本当はこんな機械を後輩には使わせたくないんである。

 

 んなこと言ってないでさっさと勉強しろと思ったのでとりあえず著作権法の本を今夜読みきります。思い切り走った。

 

 何かとスピードを感じたい。珍しく定着したと言われている世代の人が1人転職するらしい。