いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

休日の過ごし方二種類

①思い切り外に出て人ともふれあい、遊ぶ

 ⇨後味:家のことができていないのですっきりしない。でも次の日は家のことをちゃんとやる傾向にある。遊んだ満足感はあるけど大して記憶には残らない。お金は減る。自分は人ほど楽しさを感じない人間なのではないかと思って心配してしまったりする。実際にはそんなことはなくてちょっとベクトルが変なだけ。相手と金銭感覚が合わないとノリが悪いと言われて気まずい。本読んでないなーと思ってしまう。でも何か休日らしいことをやった気がする。平日になって上司と休日の話になった時、どこどこに行ったんですよーと話せる。でもこの歳になると「レトロ」とか「くつろぎ」とか言われても大体の種類体験しちゃったので、旦那と一緒でもないとまあ普通程度の「うんまあ」状態になる。その時周囲との温度差を感じてしまい自分は「うんまあ」状態の人なんだと思ってちょっと心配する。旦那と一緒の時はめちゃ楽しいし空虚じゃない話ができる。こう書いていると自分がまたちょっと心配。

 今気づいたけど、空虚じゃない話をできる相手ってすごく限られている。空虚じゃないっていうのは楽しいってことではない。楽しくて笑えても空虚な話しかできないことが多い。

②家の中で過ごす

 ⇨後味:家が片付く。でも案外読書進まなかったなーと思ってしまう。あと暑くなってくると絶対家から一歩も出たくないと思ってしまうので、なんとなく不健康な過ごし方をしたなーと思う。時間が過ぎるのが早い。苦々しい顔をして掃除機をかける。食事がいちにち一食とかになる。無駄に家計簿とか神経質に精査する。お茶飲みまくり。お茶飲むの大好きなので日頃飲みまくりたいのだが、変なので我慢しているぶん、一人で好きに飲みまくっていると休日だー感がある。貧乏ゆすりするみたいにお茶飲みまくっている。お金を使わない。お金を使わないのは本当に最高だ。でも新しい本を借りに行くのまで面倒になっていてどうなのかと思う。今日も結局図書館行かなかった。でも割に自分がやるべきことをできたかなと思う。管理会計の本読めたし。朝のうちにやるべきことやっちゃうと午後のプレミア感がすごい。旦那と電話できる。旦那が友人と会っている時は、その話を聞いたり、写真送ってきたりするの見ていて楽しい。たまにくる連絡を覗きながら本読んでいる時のプレミア感がすごい。

 

結論:①と②の過ごし方の中では②が好きだが、②だけでは息がつまるからたまに①をしないとならない。でも①ばかりになるとめちゃ疲れるので、誘われすぎている場合には適度に辞退する。最近周囲の人から見て自分が一番楽しそうに見える時って何かなと考えて見たけど、旦那のこと話してる時と美味しいものもらった時だろうとすぐわかった。思考が単純化されてきてる気がする。これってキャラをくっきりさせようと思うあまり自ら単純化してるのだろうか。しばらく白っぽくなってるなと思って見ていた植木だが、小さい鉢の中でだんだん白っぽくなっているなとやっぱり変だと思い直して見たらうどんこ病なので、さっさと根元から切ってしまった。家庭菜園にうつっていなさそうだからよかった。ぞわぞわする。見た目的に。